2019年12月末、大阪府の堺市が堺労働基準監督署から労働環境に関する是正勧告を受けました。事の発端は、がん検診などの医療現場で短時間の補助業務を行っていた看護師が、年次有給休暇の取得を申請したことです。これに対し堺市側は、該当の契約が労働契約ではなく「有償ボランティア」にあたるとして申請を拒否しました。納得のいかない看護師が労基署へ申告した結果、その実態はボランティアではなく明確な「労働」であると判断され、市は3日分の有給休暇手当を支払う結果となったのです。
このニュースに対し、SNS上では「ボランティアという言葉を都合よく使いすぎではないか」「名目がどうあれ、実際に働いているなら労働者として守られるべきだ」といった、市の姿勢を疑問視する声が相違次いでいます。有償ボランティアとは、実費や少額の謝礼を受け取りながら社会貢献を行う活動を指しますが、その定義は非常に曖昧です。今回の事例は、善意の活動という言葉の裏で、適切な労働対価や権利が軽視されかねない現代社会のグレーゾーンを浮き彫りにしたといえるでしょう。
こうした「お金が絡む善意」の構図は、近年大ブームとなっているふるさと納税の仕組みにもどこか似ています。そもそも寄付やボランティアという言葉は、辞書を引くと「無償で行うもの」と説明されるケースがほとんどです。しかし現実を見渡してみると、ふるさと納税には魅力的な「返礼品」がつきものであり、これを目当てに寄付する人も少なくありません。実際に、過度な返礼品を巡って大阪府泉佐野市と総務省が大阪高等裁判所で法的な論争を繰り広げている最中です。
国側は「寄付とは見返りを求めない対価性のないものである」と主張する一方で、2019年6月に始まった新制度でも「寄付額の3割以下の地場産品」なら返礼品として認めるという矛盾を抱えています。純粋な無償の精神だけでは、寄付もボランティアも社会全体へ広がりにくいという現実があるからに他なりません。だからこそ、活動を普及させるための「有償」という仕組みが必要視されるわけですが、一歩間違えれば本来の目的を見失う危険性を秘めています。
私は、ボランティアや寄付に一定の見返りや謝礼が存在すること自体は、活動を一般化させるために決して悪いことではないと考えます。しかし、それが組織の都合の良い労働力として搾取されたり、単なる商業取引に変質したりすることは防がねばなりません。有償という言葉が使われた途端に、ボランティアと労働、あるいは寄付とビジネスの境界線には深い霧が立ち込めます。私たちは今一度、その明確な基準づくりと真摯に向き合うべき時期に来ているはずです。
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