世界的な企業のトップは、一体どのような本を読み、過酷なビジネス戦線を生き抜いているのでしょうか。大手タイヤメーカーであるブリヂストンの最高経営責任者(CEO)を務める津谷正明氏は、実は大の読書家として知られています。多忙を極める日々のなかで、津谷氏にとって本を開く時間は、単なる娯楽を超えた特別な意味を持っているそうです。ネット上でも「一流経営者の思考に触れられる」「お薦めの洋書を読んでみたい」と、その読書術に大きな注目が集まっています。
今でこそ英語の本をスタイリッシュに読みこなす津谷氏ですが、最初から語学が堪能だったわけではないそうです。若かりし頃、新入社員として配属された社長室国際渉外室は、英語のエキスパートばかりが集まる部署でした。海外から届く英文の書簡を翻訳しても、先輩たちからは真っ赤に添削されて戻ってくる毎日だったといいます。自分の書いた返信の表現がほとんど残らない現実に、一時は会社に足を運ぶことすら憂鬱になるほど、大きな挫折を味わいました。
その試練のなかで、厳密な英語表現を習得することと同時に課されたのが「英字新聞や洋書を大量に読み漁る」というミッションでした。ビジネスの基礎体力をつけるための業務として始まった英語の読書でしたが、いつしかそれは津谷氏にとって生涯の趣味へと昇華していきます。長編小説に登場する外国人の名前をカタカナ表記で覚えるのが苦手だったこともあり、翻訳本を介さずに原著のまま英語でストーリーに没頭するスタイルが定着したのです。
そんな津谷氏が30代後半から40代初めにかけて出会い、これまでに3回も繰り返し愛読しているのが、アメリカの作家ハーマン・ウォーク氏の『The Winds of War』(邦題『戦争の嵐』)です。アメリカの海軍士官が第二次世界大戦前のドイツに赴任する場面から始まる、ある軍人一家の壮大な大河物語となっています。この作品の魅力は、スリリングな物語展開にとどまらず、当時のヨーロッパにおける複雑な国際政治のパワーバランスが実に見事に描かれている点にあります。
国際政治、つまり国境を越えた政治的な駆け引きや外交関係の動向が、臨場感をもって理解できる点がビジネスの視点からも興味深いのでしょう。さらに、劇中の会話や社交界の描写からは、自分が経験したことのない未知の世界を追体験することができます。ユダヤ系である著者の自叙伝にも目を通すことで、あの激動の時代をどのような視点で見つめていたのかが深く伝わってくると津谷氏は語ります。本棚に残るのは、このように時代を超えて何度も読み返したくなる珠玉の名作ばかりです。
眠れない夜を救うミステリーと、自分自身と向き合う時間
日々の生活リズムを整え、仕事モードからプライベートへと頭を切り替えるために、就寝前の読書は欠かせない習慣だそうです。時には推理小説の展開が佳境に入り、夜更かしをしてしまうこともあるようですが、基本的には30分から1時間ほど、静かにページをめくります。現代のイギリスミステリー界において、津谷氏が最高峰と絶賛するのがP・D・ジェイムズ氏です。孤島での連続殺人を描いた名作など、緻密に構成されたプロットを堪能されています。
また、近年ファンの間で熱い視線を集めているのが、アンソニー・ホロヴィッツ氏の『メインテーマは殺人』です。2019年秋に日本語の翻訳版が登場したこの作品は3部作で構成されており、津谷氏もすでに2作目まで読破し、最終章の発売を今か今かと心待ちにしています。これまでに読んだ古今東西の推理小説のなかでもトップクラスの完成度だと太鼓判を押すほど、そのプロットの美しさとキャラクターの造形に魅了されている様子が伺えます。
ミステリーや歴史小説の魅力について、津谷氏は「過酷な現実のビジネスから離れ、全く異なる世界に没入できるところ」だと語ります。登場人物たちの苦悩や葛藤に共感を寄せる姿からは、トップ経営者の人間味あふれる素顔が垣間見えます。「楽な人生も仕事もない。CEOになれば、重責から眠れない夜が増えるのは当然のこと」と語る津谷氏。リーダーとして弱音を見せられない孤独な立場で、読書は本来の自分自身を見つめ直し、心の調和を保つための大切な鍵なのです。
そんな津谷氏には、旅先での運命的な出会いもありました。4年前、イギリスのマーローという美しい町を散策していた際、古書店の軒先で英語に翻訳された村上春樹氏の『ノルウェイの森』を見つけました。それまで村上作品にはあまり馴染みがなかったそうですが、表紙の女性と目が合った瞬間に購入を決意します。母国語である日本語だと早読みしてしまいがちな物語も、英語でじっくりと読み進めることで、独特の文体や奥深い世界観を新鮮な驚きとともに再発見したのです。
日本の文化や作家が、海外の地で高い評価を受けているのを目にするのは、同じ日本人として誇らしい瞬間と言えるでしょう。世界中の人々の心に響く普遍的なテーマ性を持ちながらも、エッセイを読めば生粋の日本人らしさが溢れている村上氏の姿勢に、同世代の津谷氏も深く共感しています。若い頃に憧れた海外の文化を経験したからこそ、改めて己のアイデンティティを意識するトップの姿に、SNS上でも「読書を通じて自分を確立する姿勢が素晴らしい」と、多くの共感の声が寄せられています。
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