飛鳥・シルクロード考古学の権威、菅谷文則氏が逝去 〜古代史の謎に挑んだ偉大な足跡とSNSでの反響〜

考古学の分野で多くの功績を残された菅谷文則(すがや・ふみのり)氏が、2019年6月18日に享年76歳でご逝去されました。奈良県立橿原考古学研究所の元所長を務められ、日本の古代史、特に飛鳥時代の宮都(きゅうと:天皇の住む宮殿を中心とした都)や、吉野地方の山岳宗教遺跡の研究・発掘に情熱を注いでこられた日本考古学界の重鎮でした。その偉大な足跡をたどりながら、改めて氏の業績の重要性を掘り下げてまいりましょう。

菅谷氏は奈良県のご出身で、1967年に関西大学大学院をご修了後、奈良県教育委員会や奈良県立橿原考古学研究所などで要職を歴任されました。特に、古代日本の政治・文化の中心地であった飛鳥の遺跡発掘においては、中心的な役割を果たされました。飛鳥は、7世紀から8世紀初頭にかけての日本の姿を今に伝える重要な場所であり、氏の調査は当時の律令国家(りつりょうこっか:成文法典である律と令に基づいて統治された国家)成立の過程を知る上で欠かせない手掛かりを提供しています。

また、氏の研究対象は国内に留まらず、広範なシルクロード考古学にも及びました。シルクロードとは、古代から中世にかけて東洋と西洋を結んだ交易路の総称で、その研究は日本とユーラシア大陸の交流や、文化の伝播を解き明かす鍵となります。氏の国際的な視点は、日本古代史をより大きな世界史の流れの中で捉えるという、重要な視点をもたらしたと言えるでしょう。これは、日本の古代史研究がともすれば国内だけで完結しがちな傾向がある中で、非常に価値のある取り組みだったと私は考えます。

氏は滋賀県立大学の教授を経て、2009年に奈良県立橿原考古学研究所の所長に就任され、その学術的なリーダーシップを発揮されました。しかし、惜しまれつつも体調不良を理由に、ご逝去の直前となる2019年5月末をもって同研究所を退職されていたのです。ご葬儀は、2019年6月21日午後1時から、奈良県宇陀市榛原萩原の宗祐寺で執り行われ、喪主は次男の雅(みやび)氏が務められました。

この訃報を受け、SNS上では「奈良の古代史を知る上で、菅谷先生の著作は不可欠だった」「飛鳥の発掘現場でお見かけしたのが懐かしい」「偉大な研究者の灯が消えてしまった」など、その功績を讃え、惜しむ声が多数投稿されました。特に、一般の方にも分かりやすい解説をされる人柄が愛されていたこともあり、多くの研究者だけでなく、歴史ファンにも大きな衝撃を与えているようです。氏が残された数々の発掘成果や研究論文は、今後も日本の考古学、そして古代史研究の貴重な道標として生き続けるに違いありません。

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