【学習院大学長・井上寿一の原点】ロンドンでの自問自答と「なんとなく、クリスタル」前夜の記憶

エリート街道を歩んでいるように見える人にも、実は出口の見えない暗闇に迷い込んだ時期があるものです。学習院大学で学長を務める歴史学者の井上寿一氏も、かつては大学生活に馴染めず、将来への実感を掴めないまま足踏みをしていた一人でした。第一志望の一橋大学に入学しながらも、高校時代の充実感とのギャップに苦しみ、卒業要件を満たしつつもあえて「5年生」という選択をした当時の心境は、多くの若者が抱く普遍的な葛藤と言えるでしょう。

そんな停滞した空気の中で出会ったのが、後に長野県知事や作家として名を馳せる田中康夫氏でした。1980年代の初頭、大学近くの書店で田中氏が見せてくれた文芸誌のページには、時代を象徴するベストセラーとなる『なんとなく、クリスタル』が候補作として掲載されていました。思想は違えど、友人が時代の寵児へと駆け上がっていく姿を間近で見た経験は、井上氏が怠惰な日々を脱ぎ捨て、研究の道へ邁進する大きな転換点となったようです。

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歴史研究の重みを知ったロンドンの夏

本格的に学問の道を志した井上氏は、1987年の夏、博士論文の完成に向けてイギリス・ロンドンへと旅立ちます。滞在先では、パブリック・レコード・オフィス(PRO)と呼ばれる国立公文書館とアパートを往復するだけの、ストイックすぎる日々を過ごしました。PROとは、国家の外交記録や機密文書が保管されている歴史研究の聖地です。そこで1930年代の日英関係という、戦争へと向かう激動の時代の「史料」を読み解く作業に没頭していきました。

しかし、研究に没頭するあまり、家族との時間さえ惜しんで閉じこもる姿には、同行していた夫人も呆れ果てていたといいます。夫人が日中の孤独な時間に描いたというアパートの水彩画は、当時の張り詰めた空気と、研究者の執念を静かに物語っています。このストイックな姿勢は、SNS上でも「一つのことを突き詰める人の孤独と強さを感じる」といった、プロフェッショナルな生き方への共感の声を集めています。

そんなある日、ロンドンの路上で予期せぬ事件が起こります。日本軍によって兄弟を亡くしたという英国人男性から、激しい怒りをぶつけられたのです。戸惑う井上氏を救ったのは、髪を七色に染めたパンクファッションの少女たちでした。この出来事は、単なる旅のトラブル以上の意味を彼に刻み込みました。紙の上の史料だけでなく、生身の人間が背負う「歴史の痛み」に直面した瞬間だったのではないでしょうか。

自分は何のために、夜な夜な古い記録を読み漁っているのか。歴史研究者の社会的責任という大きな言葉ではなく、もっと根源的な問いが彼の中に芽生えました。1987年から現在に至るまで、井上氏は当時の水彩画を眺めるたびに、その答えを自問自答し続けています。過去を知ることは、未来に対してどのような責任を負うことなのか。その誠実な姿勢こそが、教育者としての彼の根底に流れているのだと私は確信しています。

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