サントリーから再び研究の道へ!HIROTSUバイオサイエンス広津社長が語る「線虫」への情熱と決断

大手飲料メーカーのサントリーで社会人生活をスタートさせた広津崇亮氏ですが、その胸中には常に研究への消えることのない情熱が渦巻いていました。自由闊達な社風で知られるサントリーは、新人にも大きな裁量を与える素晴らしい環境であり、広津氏自身も周囲から高い評価を受けていたのです。しかし、心の一角に「自分はこのまま会社員として人生を全うして良いのか」という純粋な問いが芽生えていました。

悩み抜いた広津氏は、理学部出身の先輩たちに相談を持ちかけます。すると意外なことに、多くの先輩がかつて同じように研究の世界へ戻りたいと葛藤した経験を持っていたのです。特に「研究を奪われたという感覚があるなら、早いうちに行動すべきだ」という助言は、彼の背中を強く押しました。キャリアが長くなるほどに、守るべきものが増えて身動きが取りづらくなるのは、いつの時代も変わらない真理でしょう。

そんな矢先、部署の組織改編に伴い、広津氏は新人ながら異例のプロジェクトリーダーに抜擢されます。彼を引き上げたのは、あの国民的缶コーヒー「ボス」を生み出し、後に役員まで昇り詰めた敏腕課長でした。期待を寄せられる喜びと、夢を追いかけたいという自己実現の狭間で揺れ動く姿は、多くの若手ビジネスパーソンの共感を呼んでいます。ネット上でも「一流企業を辞める勇気がすごい」「その決断が今の革新的な検査技術に繋がっている」と感嘆の声が上がりました。

1998年、広津氏はついに意を決して退職を申し出ます。円満な去り際を望んでいたものの、人事担当者から心にない文言を辞表に書くよう求められるという、一筋縄ではいかない場面にも直面しました。この窮地を救ったのは、彼を評価していたあの課長でした。「そんなものは書かなくていい」という温かな配慮を受け、広津氏は感謝と共に住み慣れた会社を後にし、再び東京大学大学院の門を叩いたのです。

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背水の陣で挑む線虫研究と運命を変えた助言

1998年に東大理学系研究科へ戻った広津氏を待っていたのは、サントリー時代の貯金を切り崩して生活するという、経済的に厳しい背水の陣でした。3年という最短期間で博士号(学位)を取得しなければ後がないという状況下で、彼は必死に研究に打ち込みます。ちなみに博士号とは、特定の研究分野において自立した研究能力を持つことを証明する、最高位の学術称号のことです。

当時取り組んでいた「線虫の交尾」というテーマは、成果が出るまでに膨大な時間を要する難解なものでした。線虫とは、体長1ミリメートルほどの透明な生き物で、高度な感覚機能を持ちながら飼育が容易なため、生物学の実験でモデル生物として重宝されています。焦る広津氏に対し、恩師である飯野雄一先生は「並行して嗅覚の研究も始めよう」という画期的なアドバイスを授けました。

この嗅覚研究こそが、短期間での論文執筆を可能にし、さらには後の「がん検診ベンチャー」という壮大なビジネスへと繋がっていく運命の転換点となります。もし、1998年6月のあの日にこの助言がなければ、今のHIROTSUバイオサイエンスは存在しなかったかもしれません。夢を諦めずに環境を変え、信頼できる師の言葉に耳を傾ける重要性を、彼の歩みは私たちに教えてくれています。

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