2019年6月23日、沖縄県読谷村にある「ユンタンザミュージアム」が、開館1周年を迎えます。この博物館は、太平洋戦争末期の凄惨な沖縄地上戦において、住民が集団自決という悲劇的な選択をせざるを得なかった自然壕(ごう)、「チビチリガマ」の惨状を、後世に伝える重要な役割を担っています。戦争体験者が年々少なくなる現代において、この地で83人もの命が失われた記憶をどのように継承していくのか、関係者の熱い願いが込められているのです。
沖縄戦は、1945年(昭和20年)4月1日に米軍が沖縄本島中部に上陸したことで本格化しました。その際、読谷村のチビチリガマには約140人もの住民が避難していましたが、翌4月2日、83人の方々が集団自決に追い込まれたという痛ましい事実があります。この犠牲者の約6割が18歳以下の子どもたちであったとされており、当時の絶望的な状況を物語っています。
博物館の一画には、薄暗い壕の内部を再現したジオラマが展示されており、訪れる人々に当時の緊迫感を伝えています。例えば、娘に自らを殺すように懇願された母親が包丁を突きつけている様子など、目を背けたくなるような悲劇の場面が再現されています。さらに、赤ん坊の泣き声や、外へ出るよう呼びかける米兵の声などが流れ、視覚だけでなく聴覚からも、当時の極限状態を感じられる仕組みになっています。2019年6月中旬までに、来館者はすでに3万3千人を突破しており、特に平和学習を目的とした訪問が多くを占めているとのことです。
読谷村教育委員会の文化振興課で課長を務める上地克哉さん(51)は、小学生のころに父親とチビチリガマに入った経験があり、その際に細かい骨や歯を「ばりばりと踏んだ感触が今も残っている」と語っています。遺族の方々の意向により、現在ではガマの内部に立ち入ることができないため、博物館が「過去の事実を見つめてほしい」と願う役割は、非常に重大であると受け止めているそうです。
また、近所に住む知花昌一さん(71)は、1980年代前半にチビチリガマの調査を手伝った際、生存者から当時の証言を聞き取ろうとしましたが、当初は誰もが重い口を開かなかったと回想しています。これは「地域でガマの話はタブー視されていた」ためで、集団自決という衝撃的な出来事を語ること自体が、非常な困難を伴ったことを示しています。私は、このような過去の事実を封印せずに語り継ごうとする人々の努力こそが、未来への教訓となると確信しています。
知花さんは、集団自決の背景には、戦前・戦中の「生きて虜囚の辱めを受けず」という教え、つまり「捕虜となるよりは死を選べ」という軍国主義的な思想があったと考え、「自分の子どもたちを手にかけた」という悲劇につながったとして、教育の恐ろしさと同時に、その大切さを痛感しているとのことです。時間の経過とともに戦禍の記憶が薄れることは避けられない現実ですが、「語り部も減っていく。風化をとどめる動きが必要だ」と、博物館の今後の活動に大きな期待を寄せています。
この報道に対し、SNSでは「チビチリガマのジオラマは凄絶な光景ですが、目をそらしてはいけない事実です」「平和学習の重要性を再認識しました」「沖縄戦の真実を学び、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなければ」といった、事実の重みを受け止め、平和への決意を新たにする多くの反響が見受けられました。悲惨な事実から目を背けることなく、過去を見つめることこそが、私たちが戦争という過ちを繰り返さないための、もっとも重要な一歩になるでしょう。
コメント