日本における経済的な不平等は、実は1980年代という早い段階から静かに拡大を始めていました。しかし、多くの人々がその厳しい現実に気づかされたのは、バブル経済が崩壊し、その爪痕が深く刻まれた1990年代以降のことです。「リストラ」や「中流崩壊」といったショッキングな言葉が世間を騒がせた当時の状況は、今も記憶に新しいでしょう。
興味深いことに、社会が激変する中でも、統計上の「中流意識」には大きな変化が見られませんでした。自分の生活レベルを「中」だと答える人は常に9割前後を維持し、社会的な立ち位置を示す「階層帰属意識」においても、1970年代から一貫して8割ほどの人が「中」を選択し続けているのです。一見すると、日本人のアイデンティティは揺るぎないように思えます。
数字の裏に隠された「静かな変容」の正体
ところが、この変わらぬ「中」という回答の内側では、極めて重大な構造変化が起きています。東北学院大学の神林博史教授は、これを「静かな変容」と表現しました。専門的な視点で見ると、1980年代を境に、個人の職業や学歴、年収といった「客観的な地位」と、本人が抱く「主観的な意識」の結びつきが再び強まり始めていることが判明したのです。
かつての1970年代は、実際の地位に関わらず誰もが「自分は中流だ」と根拠なく信じられる時代でした。しかし現代では、地位の低い層は「中の下」や「下」を、高い層は「中の上」や「上」を、現実に基づいてシビアに選択するようになっています。上下両方の層がリアルな自己評価を下した結果、全体の平均値としての「中」の割合だけが、見かけ上維持されているに過ぎません。
ネット上のSNSでも「もはや一億総中流は幻想だ」「自分を中流だと言い聞かせているだけでは」といった冷ややかな声が目立ち始めています。私自身の見解としても、この変容は単なる数字の動きではなく、社会の分断が心理面から着実に進んでいる証左であると感じます。客観的な指標に基づいた自己認識は、もはや避けられない時代の潮流と言えるでしょう。
2019年12月13日現在、この「静かな変容」を正しく理解することは、これからの日本社会を見通す上で不可欠な視点となります。見かけの安定に惑わされず、その裏側で進行する意識の二極化に目を向けるべき時が来ているのではないでしょうか。次回以降の解説では、この変化がもたらす更なる影響について深く掘り下げていく予定です。
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