2020年度からスタートするはずだった大学入学共通テストが、いま大きな岐路に立たされています。改革の目玉として期待されていた「英語民間試験」と、国語・数学の「記述式問題」の導入が相次いで見送られ、足かけ6年に及ぶ入試改革は、まさに先行きの見えない漂流状態に陥ってしまいました。
このニュースを受けてSNSでは、「受験生が振り回されすぎている」「採点の公平性を考えれば当然の結末だ」といった不安や不満の声が噴出しています。しかし、ここで私たちが真に向き合うべきは、制度の不備だけではありません。その背景にある、日本の若者たちの「思考力低下」という深刻な課題です。
検索で答えを探す世代?見えてきた10代の「黄信号」
早稲田大学で学生の文章指導を行う佐渡島紗織教授は、現代の学生が「ネットで検索した情報をつなぎ合わせただけの、中身のない文章」を書きがちだと危惧しています。自分でゼロから考えるのではなく、ネットの中に自分の意見を探しに行くような傾向は、情報化社会が生んだ新たな影と言えるでしょう。
ベテランの高校教員からも「この10年間で生徒の思考力が急激に落ちた」という悲鳴のような声が上がっています。調べて発表するスキルは高いものの、いざ「あなた自身の考えは?」と問われると口を閉ざしてしまう。そんな日本の10代の現状に、いま明確な「黄信号」がともっているのです。
ここで言う「思考力」とは、単に知識を蓄えることではありません。複雑な問題に対して、多角的な視点から自分なりの答えを導き出すプロセスのことを指します。文部科学省はこの現状を打破するために、選択肢から選ぶだけのマークシート方式ではなく、自分の言葉で綴る「記述式」を切り札に据えたのでした。
「読解力」過去最低の衝撃と、現場の懸念
しかし、理想は現実の壁に阻まれました。50万人規模の採点を短期間で正確に行うというハードルはあまりに高く、公平性への疑念を拭い去ることができなかったのです。一方で、2018年に実施されたOECDの学習到達度調査(PISA)では、日本の15歳の読解力が過去最低の15位に転落するという衝撃的な結果が出ました。
「知識を詰め込むだけの教育」から脱却し、批評的に考える力を養うことは、情報化が進む現代社会において「生きる力」そのものです。入試制度が変わらないままでは、高校の授業も暗記中心の旧態依然とした形から抜け出せないという、文部科学省の焦りにも一理あると私は感じます。
そんな中、大分県立大分鶴崎高校などでは、生徒同士が対話を通じて答えを導き出す「知識構成型ジグソー法」などの新しい学びが試行錯誤されています。バラバラの知識(ジグソーパズルのピース)を持ち寄り、協力して一つの解を作り上げるこの手法は、まさに次世代に求められる「学びの深化」の形です。
2019年12月19日、入試改革の柱が失われたことで、日本の教育界は重い課題を突きつけられました。制度が二転三転するのは論外ですが、だからといって「考える教育」を諦めて良いはずがありません。未来を担う若者たちが、自分の言葉で世界と対峙できる力をどう育むか。その模索は続きます。
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