冬の静寂に包まれた銀世界は、一見すると何もない無垢な空間に思えるかもしれません。しかし、観察眼を研ぎ澄ませば、そこには野生動物たちの活き活きとした営みが記録されています。動物学者の今泉忠明氏は、世界的に有名な『シートン動物記』の著者、アーネスト・トンプソン・シートンから、雪上の足跡を「読み解く」術を学んだといいます。熟達した者にとって、雪に残された印は単なる模様ではなく、彼らが何を食し、どのような目的で移動したのかを雄弁に物語る貴重な古文書のような存在なのです。
私たちが直接動物を目にしているときは、彼らも警戒して不自然な動きをすることが少なくありません。一方で、主がいなくなった後に残された足跡をたどれば、飾らない日常の素顔を覗き見ることが可能になります。SNS上でも「足跡からストーリーを想像するのはロマンがある」「雪国に住んでいるけれど、明日からはもっと足元を意識して歩きたい」といった、自然への知的好奇心を刺激された人々の声が目立ちます。こうした足跡の追跡こそ、フィールドワークの醍醐味といえるでしょう。
ノウサギとの遭遇が教えてくれた行動圏の広がり
今泉氏がこの世界に深くのめり込むきっかけとなったのは、1969年12月の冬に経験した調査でした。当時、新潟県長岡市の悠久山公園にあった市立科学博物館に勤務していた実兄に誘われ、今泉氏はノウサギの調査へと向かいます。町で「かんじき」と呼ばれる、雪に足が沈み込まないように装着する歩行具と長靴を調達し、白銀の裏山へと足を踏み入れました。慣れない雪山歩きは体力を激しく消耗させますが、その苦労の先には、思わぬ野生との対面が待っていたのです。
雪上で一息ついているとき、かすかな「サッサッサッ」という足音が静寂を破りました。そっと顔を向けると、そこには冬毛で真っ白に色づいたノウサギが座っていたといいます。実はこの個体、今泉氏の兄に追われて移動してきたものでした。このように特定の個体が付けたばかりの足跡を追い、その経路を地図に丹念に記録していく作業を繰り返すことで、動物の「行動圏」を特定できます。この調査で判明したノウサギの行動圏は、直径およそ500メートルという具体的な広さでした。
専門用語で「行動圏」とは、ある個体が通常の生活を営むために利用する空間の広がりを指します。縄張りとは異なり、他者を排除しない共有エリアも含まれますが、これを把握することは、その種の生態を理解する上で欠かせないデータとなります。今泉氏のエピソードからは、雪というキャンバスがあるからこそ、こうした緻密な計算や観測が可能になることがよく分かります。冬の厳しい寒さの中でも、こうした「発見」の喜びが、研究者たちの心を熱く燃やし続けているのでしょう。
足跡は生きている証!命が刻む「見えないメッセージ」
足跡がはっきりと目に見えるのは冬の特権ですが、本来、夏の野山であっても動物たちは必ず痕跡を残しているはずです。私たち人間は視覚に頼りすぎており、退化した嗅覚ではそれを捉えることができません。しかし、キツネやリス、シカといった動物たちは、地面に染み付いた微かな匂いを頼りに、他者の存在を正確に察知しています。視覚的な「足跡」が消えても、自然界には目に見えない情報のやり取りが絶え間なく溢れているのです。
私は、今泉氏が述べる「動物は生まれたときから足跡を残し続け、それが途絶えるときは死を意味する」という言葉に、深い畏敬の念を抱かずにはいられません。これは単なる物理的な現象ではなく、生きるという行為そのものが環境に影響を与え続けるプロセスであることを示唆しています。私たち人間もまた、文明という名の足跡を地球に残し続けていますが、野生動物たちのように、周囲と調和しながらその一歩を刻めているのか、改めて考えさせられます。
2019年12月27日の執筆当時、暖冬の影響で雪が少ない地域もありましたが、それでも冬は自然の息吹を感じる絶好の季節です。厳しい寒さが続く時期ではありますが、だからこそ出会える「生命のサイン」がそこにはあります。雪面に残された小さな窪み一つにも、それを残した主の鼓動や呼吸が宿っています。次にあなたが雪道を歩くとき、その足元に広がる名もなき動物たちのドラマに、ぜひ耳を澄ませてみてください。
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