新しい1年の始まりを彩る芸術として、江戸時代の活気あふれるお正月の風景を眺めてみるのはいかがでしょうか。今回ご紹介するのは、風景画の大家として名高い浮世絵師、歌川広重が手掛けた「冨士三十六景 東都駿河町」という名作です。この作品は、現在の東京都中央区日本橋室町にあたる「駿河町」から望む、新春の富士山と人々の賑わいを鮮やかに描き出しています。当時の流行や活気が画面全体から伝わってきて、見ているだけで晴れやかな気持ちになりますね。
駿河町という地名は、その名の通り駿河国にある美しい富士山を一望できたことに由来していると言われています。広重が描いた並木道の正面にも、白雪を冠した神々しい富士山が堂々とそびえ立っているのが見えます。通りを挟んで右側に位置するのは、当時を代表する大企業であった呉服店の「三井越後屋」です。看板には「するか町 呉服物品々 越後屋」と誇らしげに記されており、お店の奥へとどこまでも続いていくような長い暖簾が、その繁盛ぶりを物語っているでしょう。
この絵の面白いところは、通りを歩いている人々がすべてお正月の「門付け芸人(かどづけげいにん)」である点にあります。門付け芸人とは、お正月に家々の門口を訪れて芸を披露し、報酬を受け取る芸能者たちのことです。SNSでも「当時のストリートパフォーマーたちが勢揃いしていて、まるでお正月のフェスティバルのようで見応えがある」と、その賑やかな雰囲気を楽しむ声が数多く寄せられています。江戸の人々にとって、彼らは新春の訪れを告げる特別な存在だったに違いありません。
画面の左端に目を向けると、粋な編み笠をかぶった2人連れの女性が歩いており、彼女たちは「鳥追い(とりおい)」と呼ばれる芸人です。三味線を奏でながら鳥追い唄を歌い、田畑の作物を荒らす鳥を追い払う仕草で、家々の悪霊を払うためにお正月を盛り上げました。そのすぐ右側で、鮮やかな緑色の着物を身にまとっている2人は「三河万歳(みかわまんざい)」のコンビです。これは新年の幸福を願うおめでたい掛け合い漫才のようなもので、太夫と才蔵という2人組で息の合ったお祝いの言葉を述べていきます。
さらに画面の右側からは、笛や太鼓、そして華やかな飾りを付けた「万度(まんど)」を手にした「太神楽(だいかぐら)」の一行が登場しています。現代でも寄席の曲芸として親しまれている太神楽ですが、当時はお正月の悪魔払いや神事として、町を練り歩いて人々に親しまれていました。浮世絵に描かれた彼らの躍動感のある動きを見ていると、江戸の町に響き渡っていたであろう賑やかな楽器の音色や、人々の楽しげな笑い声が今にも耳元へ聞こえてくるような錯覚を覚えます。
この素晴らしい風景画のシリーズ「冨士三十六景」は、歌川広重がその生涯を閉じる1858年に制作された、まさに彼の集大成とも言える晩年の傑作です。しかしここで注目したいのは、このテーマが20年以上前に葛飾北斎が発表して大ヒットを記録した「冨嶽三十六景」と、全く同じ趣向であるという点でしょう。偉大な先人である北斎がこの世を去った後、自らの人生の最終盤になってあえて同じ題材に挑んだ広重の心には、一体どのような熱い想いが秘められていたのでしょうか。
私個人の視点として、これは広重から北斎へと贈られた、時を超えた最大のリスペクトであり、同時に絵師としてのプライドをかけた静かな挑戦状だったのではないかと感じます。北斎がダイナミックな構図で富士山を捉えたのに対し、広重はそこに生きる人々の息遣いや季節の情緒を繊細に描き込み、独自の美しい世界観を完成させました。1858年の大判錦絵として那珂川町馬頭広重美術館に所蔵されている本作を鑑賞しながら、巨匠たちが火花を散らした芸術への情熱に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
コメント