自動車業界に激震が走ったカルロス・ゴーン氏による電撃の人事通告から、物語は始まります。2005年に日産自動車の常務執行役員を退任し、自動車内装部品の大手である河西工業へと転籍した渡辺邦幸氏の軌跡が、今まさに注目を集めています。当時の緊迫したトップ会談の様子が明かされると、SNS上では「ゴーン氏の全盛期を知る人物のリアルな証言は重みが違う」「左遷とも捉えられる状況で、二つ返事で引き受けた潔さが格好良すぎる」といった感嘆の声が次々と上がっており、大きな反響を呼んでいるのです。
渡辺氏が導かれた新天地は、華やかな銀座の日産本社ビルとは180度異なる環境でした。神奈川県寒川町にある河西工業の本社は、冷暖房の効きが悪くタバコの煙が漂う古いビルで、窓からは工場の物音や油の香りが伝わってくる現場感に溢れた場所だったそうです。しかし、ものづくりの原点に戻れるこの素朴な環境こそが、渡辺氏の情熱を再び燃え上がらせるきっかけとなりました。インターネット上でも、「現場の泥臭さを愛せるリーダーこそが、真の改革を成し遂げられるのだろう」と、その姿勢を支持するコメントが寄せられています。
2006年06月に社長へ就任した渡辺氏を待ち受けていたのは、見せかけの売上高の裏に隠された、非常に脆弱な財務体質でした。当時の河西工業は、決算期末の駆け込み増産でなんとか黒字を確保するような典型的な下請け体質であり、利益率はわずか1%から2%を低迷していたのです。主要顧客である日産やホンダの成長に頼り切った経営状態を、渡辺氏は「危機的な状況」と見抜きました。専門用語で言えば、特定の親会社への依存度が高い「系列(けいれつ)経営」の限界が、そこに浮き彫りとなっていたと言えるでしょう。
この状況を打破するため、私は企業の自立に向けた独自のトップ営業こそが最優先課題であると考えます。渡辺氏は自ら愛知県のトヨタ自動車へ何度も足を運び、新規顧客の開拓へ奔走しました。順調に成果が出始めた矢先、2008年に世界中を襲ったリーマン・ショック(アメリカの住宅ローン問題を端に発した世界規模の経済危機)により、業績は一転して急降下してしまいます。この未曾有の危機に対し、渡辺氏は他社の成功事例を徹底的に取り入れた、強力なコスト削減策である「合理化」を断行することに決めました。
出張費の承認権限を社長自らが握り、研究開発費を40億円へと大胆に絞り込む「ケチケチ作戦」は、凄まじい執念の表れと言えます。この徹底的な経営改革が実を結び、2011年03月期には目標としていた営業利益率6%超えという奇跡的なV字回復を成し遂げたのです。これに対しSNSでは「有事の際のリーダーシップの見本」「ここまでの大改革は並大抵の覚悟ではできない」と絶賛される一方で、渡辺氏自身が「無理な合理化が後に首を絞める」と吐露した点について、長期的な投資とのバランスの難しさを指摘する声も上がっています。
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