【訃報】ノーリツ創業者・太田敏郎氏が死去。「お風呂のイノベーション」と阪神大震災からの復興「神戸ルミナリエ」に捧げた波乱万丈の生涯とは

日本の家庭にお風呂の心地よさを届け続けた偉大な先駆者が、ついに旅立ちました。給湯機器大手である株式会社ノーリツは2020年1月20日、同社の創業者で名誉会長の太田敏郎氏が2020年1月15日に亡くなったことを公表したのです。この悲報に対し、SNS上では「毎日の温かいお風呂は太田さんのおかげ」「ルミナリエを守ってくれてありがとう」といった、感謝と哀悼のメッセージが数多く寄せられています。

太田氏の原点は、わずか16歳で入隊した海軍兵学校時代にありました。厳しい訓練が続く冬の日、心身を芯から癒やしてくれたのが、ほんのひとときの入浴時間だったそうです。この原体験から「誰もが温泉のように手軽に楽しめるお風呂を普及させたい」という熱い情熱を抱き、23歳という若さで創業を決意しました。当時の主流だった五右衛門風呂からガス釜への転換を成功させ、同社を大きく成長させていきます。

しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。高度経済成長期の1962年には、ワンマン経営を理由に突然社長の座を追われるという、まさかのクーデター劇に見舞われます。一般的な経営者であれば、ここで会社を去る選択をしたかもしれません。ですが太田氏は、専務や常務への2度の降格という屈辱を静かに受け入れながらも、自らが興した会社に残り続ける道を選んだのです。

かつてのインタビューで、太田氏は当時の自身を「慢心があった」と真摯に振り返っています。こうした不屈の精神と反省の姿勢があったからこそ、1980年には見事に社長の座へと復帰を果たせたのでしょう。その後は1984年の株式上場を成し遂げ、アメリカや中国といった海外市場への進出も自ら牽引しました。ノーリツを売上高2000億円企業へと育て上げた手腕は、見事というほかありません。

1995年1月に会長へ就任した直後、未曾有の災害である阪神・淡路大震災が神戸の街を襲いました。この年の12月、震災の犠牲者への鎮魂と復興の願いを込めて始まった光の祭典が「神戸ルミナリエ」です。太田氏はこのイベントの継続のために自ら資金集めに奔走し、周囲からは親しみを込めて「ルミナリエおじさん」と呼ばれました。人の嫌がる役目を率先して引き受ける姿は、多くの感動を呼んでいます。

神戸商工会議所の副会頭を務めていた2003年には、当時の会頭の急逝を受けて会頭代行に就任するなど、地域経済のピンチにも常に寄り添い続けました。兵庫県の井戸敏三知事も記者会見で「神戸財界のとりまとめ役だった」と、その穏やかな調整力を評価しています。尖った部分を見せず、それでいて芯の強いリーダーシップを発揮した太田氏は、まさに復興の精神的支柱だったと言えるでしょう。

私自身の視点として、太田氏の生涯は現代のビジネスパーソンにとっても深い教訓に満ちていると感じます。一度はトップの座を追われながらも、プライドを捨てて会社のために尽くした姿勢や、震災という国難において私利私欲を捨てて文化の継続に命を懸けた行動力は、簡単に見真似できるものではありません。彼が遺した「お湯のある幸せ」と「復興の光」は、これからも私たちの胸に灯り続けるはずです。

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