昭和の歌謡界を華やかに彩り、「木綿のハンカチーフ」などの大ヒット曲で知られる歌手の太田裕美さん。彼女が19歳でデビューした1974年(昭和49年)から愛用しているのは、ビジネスパーソンの定番として名高い「能率手帳」です。能率手帳とは、時間管理を効率的に行うための機能的なスケジュール帳のこと。19歳という若き日の歌姫が選ぶには少し渋い選択に見えますが、ここには温かい家族のストーリーが隠されていました。
実はこの黒革の手帳、お父様である太田弘さんが銀行から譲り受けたものでした。お父様が使わないということで、イニシャルが同じ「H・OTA」だった太田裕美さんが譲り受けたのが始まりだそうです。SNS上では「お父さんとの絆が素敵すぎる」「イニシャルが同じなのは運命的」と、ほっこりする声が多数寄せられています。しかし、この愛おしい手帳たちを1990年代半ば、予期せぬ悲劇が襲うことになります。
埼玉県春日部市にあった実家と、隣接するお父様の工場が不審火によって全焼するという大火災に見舞われたのです。家族の思い出が詰まったアルバムなどはすべて灰になってしまいました。ところが、化粧台の引き出しに保管されていた手帳の一部が、奇跡的に焼け跡から救出されます。放水によって文字はにじみ、激しい炎で周囲は黒く焦げてしまいましたが、当時の記憶を現代へとつなぐ貴重な道標となりました。
手帳を開くと、1976年(昭和51年)8月にはなんと19回もコンサートをこなしていた過酷なスケジュールが確認できます。当時は実家から仕事場へ通っており、睡眠時間は移動の車中がメインで、自宅では4時間も眠れなかったというから驚きです。どれほど多忙であっても、仕事の予定から食事をしたお店まで細かく書き留める几帳面さに、彼女のプロ意識が垣間見えます。身を削るような努力が、あの名曲たちを支えていたのでしょう。
焦げ跡が残る手帳は、太田裕美さんを3歳当時の幼い記憶へとタイムスリップさせてくれます。お父様が営んでいた包装資材の工場で、古新聞を溶かした泥にまみれて遊んだことや、トロッコに乗ってはしゃいだ思い出が鮮明によみがえるそうです。年子の弟や妹がいたため、長女として一人遊びが上手だった彼女は、工場の屋根の上でお煎餅を食べながら漫画を読み、空を眺めて過ごすのがお気に入りだったと語っています。
形ある思い出の品は火災で多くを失ってしまいましたが、焼け残った手帳が記憶の扉を開く鍵となりました。デビュー45周年を迎え、記念アルバム「ヒロミ★デラックス」をリリースするなど、今も精力的に活動を続ける太田裕美さん。激動の時代を生き抜いた彼女の音楽には、手帳に刻まれた泥臭くも温かい家族の歴史と、昭和を駆け抜けた情熱が今も息づいています。これからの紡がれる物語にも、ぜひ注目していきたいですね。
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