従来の江戸時代に対するイメージを180度覆し、文化研究に新しい風を吹き込んだ偉大な研究者がいます。2019年11月27日に84歳でこの世を去った、九州大学名誉教授の中野三敏(なかのみつとし)さんです。中野さんは、これまで研究者の間で軽視されがちだった18世紀という時代にスポットを当てました。和歌などの高尚な「雅(が)」と、庶民の娯楽である「俗(ぞく)」が絶妙に調和したこの時期こそが、江戸文化の真の黄金期であると提唱したのです。
SNS上でもこの斬新な視点は大きな話題を呼んでおり、「江戸の見方がガラリと変わった」「歴史の授業で教えてほしかった」といった驚きと称賛の声が多数寄せられています。中野さんの研究の根底にあったのは、人間に対する並々ならぬ好奇心でした。1977年に出版された名著『近世新畸人伝』では、歴史の闇に埋もれていた俳人の山崎北華をはじめとするユニークな人物たちを次々と発掘し、現代にその魅力を伝えてくれています。
ここで使われている「畸人(きじん)」という専門用語は、単なる変わり者という意味ではありません。独自のこだわりや奇抜な行動を持ちながらも、どこか憎めない魅力的な知識人や風流人のことを指します。中野さんの教え子である大阪大学の飯倉洋一教授は、先生が普段から個性的な人々を優しく受け入れる広い心の持ち主だったと語ります。人の少し偏った部分を愛おしみ、面白がる温かい視線が、素晴らしい研究の原動力になっていたのでしょう。
江戸文化を愛した中野さんは、圧倒的な情熱を持つ和本の収集家としても有名でした。和本(わほん)とは、明治時代より前に日本で伝統的な手法を使って作られた和紙の本のことです。中野さんは書道の手本となる「法帖」などを文字通り片っ端から買い集め、そのコレクションはなんと3万冊を超えていました。自宅に設けられた細長い蔵書部屋は、まるで「うなぎの寝床」のようだったと周囲の人が懐かしむほど、本で埋め尽くされていたそうです。
さらに、中野さんは周囲を笑顔にする遊び心の天才でもありました。地元の福岡で学会を開催した際には、『下戸のくち』というユニークな小冊子を参加者に配っています。これは、お酒が飲めない自身の目線から、地元の美味しいグルメを江戸時代の「役者評判記」風に格付けして紹介したものです。役者評判記とは、歌舞伎役者の演技や容姿をランク付けした当時のガイドブックのことで、それを現代のグルメ本に応用するセンスには脱帽せざるを得ません。
中野三敏さんが遺した数々の業績やエピソードに触れると、学問とは本来、人間への愛や日々のワクワク感から生まれるものだと気付かされます。私たちが今、落語や浮世絵といった江戸文化を身近に楽しめるのも、中野さんのような先駆者が文化の多様性を認めてくれたおかげです。偉大な学者のチャーミングな人柄と、歴史への飽くなき情熱は、これからも多くの人々の心に残り続け、新しい研究者たちを刺激していくに違いありません。
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