治療法が見つかっていない難病に対して、劇的な効果をもたらす「特効薬」として注目を集めているのが遺伝子治療です。世界中の大手製薬会社から新進気鋭のスタートアップまでが参入し、現在その開発競争は激しさを増しています。しかし、この革新的な治療法が広く普及し、誰もがその恩恵を受けられるようになるには、乗り越えなければならない大きな壁が存在します。
その最たるものが、ニュースでも度々話題になる高額な「薬価(公的に定められた医薬品の価格)」です。ソーシャルメディア(SNS)などでも、「高すぎて保険財政が破綻してしまうのではないか」といった不安の声が数多く上がっています。2019年5月に日本で保険適用となった血液がんの治療薬「キムリア」は1回約3300万円という国内最高額を記録し、世間に大きな衝撃を与えました。
さらに、ノバルティス社が海外で展開する乳幼児の難病「脊髄性筋萎縮症(SMA)」の治療薬「ゾルゲンスマ」にいたっては、日本円で約2億3000万円という驚きの価格がついています。世界最高額とも称されるこの金額に対し、SNS上では「一生かかっても払えない」といった驚愕のコメントが溢れました。しかし、医療の専門家や製薬業界の見方は、私たち一般の感覚とは少し異なっているようです。
一見すると超高額、しかし「費用対効果」で見る真実
製薬業界の関係者は、この数億円という金額について「治療トータルのコストで考えれば、決して高すぎるわけではない」と指摘します。例えば、先ほどのSMAという難病の場合、従来の既存薬を10年間使い続けると、その薬価の総額は約5億円にも達してしまうのです。しかも従来の薬は生涯にわたって投与し続ける必要がありますが、ゾルゲンスマであれば、わずか1回の投与で治療が完結します。
ここで重要になるのが、医療費に対する治療効果の割合を示す「費用対効果」という視点です。日本の薬価決定プロセスは、海外での販売価格や、薬を作るためにかかったコストである「製造原価」をベースに計算されるのが通例となっています。つまり「安く作れるものは、薬価も安くすべきだ」という引き算の考え方が根底にあり、治療によって得られる劇的な効果や長期的メリットは評価されにくい仕組みです。
2019年に国内で承認された足の血管の病気に対する治療薬「コラテジェン」は、1回約60万円という薬価になりました。市場では数百万円になると予想されていたため、専門家からは「革新的な価値が正しく反映されていない」と不満の声が漏れています。イノベーションを適切に評価する文化が育たなければ、製薬会社が日本で新薬を発売する意欲を失ってしまうという深刻な懸念も生じているのです。
日本酒の職人技に通じる?量産のカギを握る「ベクター」とは
遺伝子治療を普及させるためのもう一つの課題が、製造面における「量産技術」の確立にあります。治療の現場では、狙った遺伝子を体内の細胞へと正確に送り届けるための「運び役」が必要不可欠となります。この運び役のことを専門用語で「ベクター」と呼び、ウイルスなどを安全に加工して利用しますが、この製造が極めて難しいとされています。
現在、世界中で注目されているのが「アデノ随伴ウイルス(AAV)」というベクターです。病原性がなく安全性が高い上に、1回投与すれば数年から10年以上も効果が持続するという驚異的な特徴を持っています。ただ、このAAVは製造工程が複雑で、大量生産の手法がまだ確立されていません。全身に投与する病気の場合、目の病気の1万倍もの量が必要になり、これが世界的なボトルネックとなっています。
この難題に対し、日本の専門家は「職人技のような細やかな調整が得意な日本に勝機がある」と分析しています。細胞の培養から濃縮、滅菌にいたる多岐にわたる工程は、まるで熟練の杜氏が仕込む日本酒造りのようだと言われています。2020年02月09日現在、産学官が連携したプロジェクトが始動しており、カネカや東レといった国内の化学メーカーなど10社が参画し、4年後の基盤技術の構築を目指しています。
編集部EYE:命の価値に向き合う仕組みと、国家レベルの支援を
新薬の実用化というスピードの面では、日本は欧米の後塵を拝してしまったと言わざるを得ません。しかし、商業化の命綱である「大量生産の技術」に関しては、世界中がまだスタートラインに立ったばかりの横並び状態です。日本が持つ精緻なものづくりのDNAを活かせば、製造技術の分野で世界のトップに君臨できる可能性は十分にあります。
編集部としては、国を挙げた強力なバックアップが今こそ不可欠であると考えます。どれほど優れた治療法であっても、作れなければ意味がなく、また正当に評価されなければ日本には届きません。研究費の大胆な支援や、時代に合わなくなった法規制の緩和をスピーディーに進めるべきです。命を救うイノベーションを国全体で育てる姿勢こそが、未来の医療大国への道を切り拓くでしょう。
コメント