2020年2月12日、節分を越えて立春を迎え、本格的な新しい1年が幕を開けました。映画監督の安藤桃子さんの家庭では、幼い娘さんのリマインドのおかげで、今年はバッチリ事前準備が整ったそうです。当日の朝一番には、登園前に自宅で賑やかな豆まきが執り行われました。しかし、豆を撒く娘さんが放った「鬼さん、豆を拾って食べるかな?」という素朴な一言が、安藤さんの心に深い気づきをもたらすきっかけとなったのです。
幼少期を振り返ると、鬼に扮した父親の背中へ夢中で豆を投げつける時間が、ただただ楽しくて仕方がなかったと安藤さんは語ります。普段は威厳のある父親が「痛い!」と逃げ回る滑稽な姿に、子どもながらに笑顔が溢れたものです。開け放たれた窓から吹き込む清々しい春の風を感じながら、家中を走り回った記憶は誰しもが持つノスタルジーでしょう。当時は鬼に対して、同情の余地など1ミリも抱いていなかったのです。
しかし、20代後半を迎えた頃から、安藤さんの心境には変化が訪れます。節分の本来の目的は「邪気(じゃき)」、つまり災害や病気などの目に見えない災いや不幸の象徴を追い払うことです。ですが、お面をつけて擬人化された鬼を見つめると、追い出された鬼は一体どこへ行くのだろうと疑問が湧いてきます。この変化は、誰かを愛し、傷つき、嫉妬や自己嫌悪を覚えるという、自身の心の成長と深く比例していたのでした。
SNS上でも「自分の中の負の感情を鬼に例えるのはすごく共感できる」「大人になると鬼の気持ちが分かって切なくなる」といった、安藤さんの視点に寄り添う声が数多く寄せられています。私たちは誰しも、心の中に醜い鬼を飼っているものです。理不尽な出来事に遭遇した際、心の中で暴れ回る鬼を必死に抑え込み、引きつった笑顔で大人の対応を演じた経験は、現代社会を生きる多くの人々にとって普遍的な葛藤だと言えます。
安藤さんは、ある昔話を紹介しています。村を荒らす恐ろしい鬼に対し、1人のお婆さんが美味しい団子を振る舞ったところ、その優しさに鬼の心が解きほぐされ、二度と悪さをしなくなったという逸話です。叩いて排除するのではなく、受け入れることで解決する選択肢を教えてくれます。嫌われ者だからこそ優しくされたいという本質は、人間も鬼も同じです。突き放すのではなく、抱きしめる勇気が必要なのでしょう。
私自身の意見としても、この「敵を排除せず包み込む」という姿勢には大いに賛同します。現代社会はSNSの普及もあり、過ちを犯した者や異質な存在を徹底的に叩いて排除しようとする風潮が強すぎるように感じられます。しかし、攻撃はさらなる反発を生むだけです。自分自身の中にある弱さや醜さを認め、対話の席につくことこそが、結果として周囲の環境や人間関係を最も平和的に変える特効薬になるのではないでしょうか。
安藤さんは、心の中の鬼と同情するのではなく「対峙」しようと呼びかけます。「君も私だ、大丈夫」と語りかけ、美味しいお茶を1杯淹れてほっと一息つく。自分自身を労わり、内なる「福」が満たされれば、頑なだった心の中の鬼も、つられて微笑むかもしれません。誰かを攻撃したくなった時こそ、まずは自分の心に優しい団子を差し出すような、そんな寛容さと温かさを大切に持ち続けたいものです。
コメント