2019年7月2日、介護業界で注目を集める「のぞみグループ」代表の甘利庸子(あまり・ようこ)さんの半生に迫るインタビューが公開され、その波乱万丈なエピソードが大きな話題を呼んでいます。甘利さんといえば、バリバリの経営者というイメージをお持ちの方も多いでしょう。しかし、その原点は意外にも「厳格な家庭に育った箱入り娘」であり、かつてはごく普通の専業主婦を志していたというのですから驚きです。
東京都豊島区に生まれ、両親の深い愛情を受けて育った甘利さん。おてんばな一面もありつつ、門限や礼拝を守る規律正しい生活を送っていました。薬科大学へ進学したのも、「一生仕事ができる資格を」というご両親、特にお母様の強い勧めがあったからだそうです。そこには、姑との関係で社会進出を阻まれたお母様自身の「娘には自立してほしい」という切実な願いが込められていたのでしょう。
長野での開業と、主婦の中に眠っていた「経営者」の片鱗
大学卒業後は医師と結婚し、一度は専業主婦として家庭に入った甘利さんですが、1985年に転機が訪れます。夫が長野県小諸市で医院を継承することになり、一家で移住したのです。当初はのんびりとした生活を送るつもりだったそうですが、そこで彼女の中に眠っていた「リーダーとしての資質」が目を覚まします。「夫の医院を地域一番にしたい」という熱い思いから、東京まで通って接遇を学び、サービスの向上に努めたのです。
さらに驚くべきは、バブル景気で賑わっていた当時の世相を背景に、なんと自ら「レディースセミナー」を企画・運営したことでしょう。250人もの受講希望者を集め、3年間にわたり毎月セミナーを開催し続けたという実行力は、現在の経営手腕に直結していると言えます。SNS上でも「ただの奥様で終わらないバイタリティがすごい」「この頃から既に経営者としての才覚があったんだ」と、その行動力に称賛の声が集まっています。
絶望の淵で見せた「母の背中」と誤診騒動
しかし、順風満帆に見えた人生に最大の危機が訪れます。大学病院で「末期がん」と診断されたのです。幼いお子さんを残して死ぬかもしれないという恐怖は、想像を絶するものだったに違いありません。ところが、甘利さんの行動は常人のそれを遥かに凌駕していました。「あきらめなければできないことはない」という姿勢を子どもたちに残すため、なんと闘病の不安の中で「宅地建物取引主任者(宅建)」の試験勉強を始めたのです。
宅建といえば、不動産取引に関する専門知識が問われる難関国家資格です。時には山奥で車を止めて泣き叫ぶほどの恐怖と闘いながら、子供たちの前では気丈に勉強を続け、見事に一発合格を果たしました。結果的にがんは「誤診」であり、何年もの検査を経て健康であることが証明されましたが、この極限状態で見せた強さこそが、甘利庸子という人物の真骨頂ではないでしょうか。
編集後記:逆境をエネルギーに変える力
今回の記事を通じて私が強く感じたのは、甘利さんの持つ「逆境を糧にする力」の凄まじさです。誤診という悲劇的な経験さえも、子供たちへの教育と自己成長の機会に変えてしまったその精神力には、ただただ圧倒されます。お母様の「資格を持って自立せよ」という教えが、予期せぬ形で彼女の命綱となり、そして現在の介護事業への情熱へと繋がっているように思えてなりません。
インターネット上では、「誤診でよかったけれど、その精神力は真似できない」「母として、人間としての強さに感動した」といった共感の声が相次いでいます。専業主婦から地域のリーダーへ、そして死の淵からの生還。甘利さんのドラマチックな半生は、これからキャリアを築こうとする多くの女性にとって、強烈なエンパワーメントとなるはずです。
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