日本の国際石油開発帝石(以下、国際帝石)がインドネシア沖で長年温めてきた東南アジア最大級の大型液化天然ガス(LNG:Liquefied Natural Gas、天然ガスを冷やして液体にした燃料のこと)開発プロジェクトが、ついに大きな一歩を踏み出しました。それは、同国政府の鶴の一声で開発計画の大幅な見直しを迫られ、最大で5000億円もの追加費用が発生するという、非常に厳しい条件をのむ形での決断です。総事業費が2兆円規模にも膨れ上がったアジアの巨大資源ビジネスの舞台裏で、一体何が起こっていたのでしょうか。
国際帝石が開発を計画しているのは、インドネシア東部のアラフラ海に位置する「マセラ鉱区」です。この「アバディLNGプロジェクト」は、年間950万トンというアジアでも類を見ない生産規模を目指し、2027年の操業開始を目標に据えています。プロジェクトの歴史は長く、国際帝石がマセラ鉱区の権益を1998年に取得したことに遡ります。試掘を経てガス田が発見され、ユドヨノ前政権下の2010年には一度、当初の洋上開発計画が承認され、2020年ごろの操業開始を目指していました。
しかし、事態は2016年に急変します。2014年に誕生したジョコ政権が、この計画に待ったをかけたのです。新政権は「LNGを洋上で開発すると、地域社会に雇用が生まれない」として、陸上開発への変更を強く要求しました。国際帝石からすれば、文字通り「寝耳に水」の変更要求でした。洋上で完結できる開発を、わざわざ100キロメートル超のパイプラインを敷設して陸上へ移すことは、LNG業界の常識では極めて異例の措置だからです。この変更により、インフラ投資で雇用は生まれるものの、開発費は最大で約5000億円も増加してしまう見込みでした。
「安く済む洋上開発でなければ、採算が合わない」と、当時の国際帝石の担当者は語っていたように、その後の交渉は泥沼化しました。しかし、結果として国際帝石は2019年6月、インドネシア政府の要求を受け入れます。その背景には、マセラ鉱区の権益期間が当初の2028年から2055年まで大幅に延長されたこと、そして、新たなLNG資源の発見により年間の生産量が200万トン増え、収益増が見込めるようになったことを、同社は理由として挙げています。
この劇的な進展は、同年6月16日に長野県軽井沢町で開催されたG20エネルギー・環境相会合の場で、インドネシア政府と国際帝石との間で基本合意の署名式が行われました。同国の閣僚からは「単一の投資では、インドネシア史上最大の額になる」「国内産業への波及効果は非常に大きい」と歓迎のコメントが相次ぎ、開発場所に近い東部マルク州の地元紙も「これでカタールのように豊かになる」と、プロジェクト決定を喜びました。
巨大投資の裏に透ける国際帝石の「生き残り」戦略
権益期間の延長や生産量の増加は朗報ですが、約5000億円という巨額の追加投資が必要な「陸上開発」を、これだけの理由で受け入れたというのは、業界では理屈が通らないとの見方が一般的です。国際帝石の上田隆之社長は「経済性は十分にある」と強調しますが、開発費の大幅増が今後の収益性に重荷となる懸念は拭えません。
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条件が不利に見える中で国際帝石が合意を急いだのは、このマセラ鉱区が、同社の「生き残り」をかけた最後の砦であったためと言われています。国際帝石のLNG開発量は、このマセラ鉱区を含めても年間1200万トン規模です。これは英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルなどのメジャー(Major、国際的な巨大石油資本のこと)と呼ばれる欧米大手企業が誇る約4000万トンとは、比べ物になりません。もし、このマセラ鉱区の開発を逃せば、国際帝石は事実上、世界の資源開発競争から脱落することを意味するからです。
上田社長は「大手メジャーからすると(開発実績が劣り、権益ベースの)規模が小さいと(共同開発で手を組む際に)相手にもされない」と、焦りのような本音をのぞかせています。採算を一時的に後回しにしてでも、まずは「規模」を優先し、マセラ鉱区に懸ける必要があったと見られるでしょう。私は、この決断は**「日本企業が世界のメジャーと肩を並べる」という矜持**、そして**「日本のエネルギー安全保障に貢献する」という使命感**が、経済合理性を超えた結果だと強く感じています。
日本政府の危機感と今後の課題
国際帝石の決断の背景には、日本政府の強い危機感も働いていたと見られています。マセラ鉱区で生産されるLNGは、日本の年間輸入量の1割強に相当する量であり、エネルギー安全保障上の重要性が極めて高いからです。業界関係者は「インドネシアからの半ば強引な要求も、のまざるを得なかったのではないか」と見ています。
今回の合意は朗報ですが、先行きはまだ平たんではありません。既にマセラ鉱区の近隣の島々では、開発を見越した土地の買い占めが起きており、今後の土地収用が難航して開発が遅れるリスクを抱えています。そして、最も重要なのは、膨らんだ約5000億円という開発費の負担を、今後どのように処理するのかという点です。インドネシア政府がどれほど負担するのかなど、詳細な詰めはまだこれからとなります。
ユドヨノ前政権下で一旦は計画が承認されてから、まもなく10年。「政治に翻弄された10年」を経て、国際帝石の巨額の「賭け」は、果たして日本の未来とインドネシアの発展を照らす灯となるでしょうか。今後の動向に、引き続き注目していく必要があるでしょう。
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