河西工業・渡辺邦幸社長の原点!大学時代に出会った「生涯の友」が教えてくれた経営者の孤独を癒やす絆の力

自動車部品メーカー大手の河西工業で舵取りを行う渡辺邦幸社長には、人生の宝物と呼べる存在がいます。それは、名古屋大学工学部機械学科の学生時代に出会った同級生の塚本一雅氏です。100人もの学生が在籍する大所帯の学科でしたが、3年生の専門科目で席を並べたことをきっかけに二人の距離は急速に縮まりました。最初はマージャンを囲む遊び仲間でしたが、やがてお互いの人生に深く関わる生涯の友へと育っていったのです。

渡辺社長の学生生活は、塚本氏の温かいサポートなしには語れません。当時、家族が東京へ転行したため名古屋で孤独な下宿生活を送っていた渡辺社長は、常に経済的な困窮と隣り合わせでした。そんな窮地を救ったのが、実家が農家だった塚本氏です。頻繁に小分けして届けてくれたお米が、当時の貴重なエネルギー源となりました。現在でも二人が集まると、あの時のお米がなければ無事に卒業できなかったという思い出話で花が咲くそうです。

SNS上でも「これほど強い絆で結ばれた学生時代の友人は本当に羨ましい」「苦しい時期を支え合えたからこそ、お互いに大企業のトップまで上り詰めることができたのだろう」といった感動の声が数多く寄せられています。さらに大学4年生の時には、新設された自動車科の研究室へ揃って所属しました。渡辺社長がヘルニアの手術を受けリハビリに励んでいた時期には、塚本氏が自家用車で毎日のように送り迎えをしてくれたという心温まるエピソードも残されています。

学生時代の最大のハイライトは、企業訪問を兼ねた卒業旅行でした。現地集合のルールを利用し、二人は愛車を駆って南は鹿児島まで巡る壮大な旅へと出発したのです。熊本での温泉満喫や、開催を控えた大阪万博の会場周辺の見物など、刺激的な日々を過ごしました。しかし旅の終盤には財布が底を突き、高速道路の料金すら払えるか怪しい状況に陥ります。不安に震える渡辺社長に対し、塚本氏は平然と「何とかなる」と言い放ったそうです。

心配性な渡辺社長と、豪快でおおらかな塚本氏という正反対の性格だからこそ、パズルのピースが噛み合うように息がぴったりだったのでしょう。大学を卒業した21歳を迎えた春、渡辺社長は日産自動車へ、塚本氏はアイシン・ワーナーへと別々の道を歩み始めました。社会人になってからも最初の2年間は、毎年夏に東北の小岩井牧場などへ長期のドライブ旅行に出かけるほど仲が良く、お互いの存在が仕事のモチベーションになっていたに違いありません。

その後、塚本氏の米国留学や日々の激務によって一時的に疎遠な時期が続いたものの、40代で役職に就いた頃から再び交流が再開します。ある学会の夜、塚本氏が自社の自動車部品である変速機(トランスミッション)の耐久性について技術的な質問をぶつけてきたことがありました。渡辺社長が「成績の悪かった俺に分かるはずがない」と冗談交じりに切り返したやり取りは、大人になっても変わらない二人の関係性を象徴しています。

その後、塚本氏はアイシン・エィ・ダブリュの副社長という要職を歴任し、2014年からは同社の顧問を務めています。自動車業界の第一線で巨大組織を率いるトップという立場は、常に孤独やプレッシャーとの戦いです。心身ともに擦り切れるような緊張感の中に身を置くからこそ、利害関係を抜きにして何でも話せる旧友との時間は、何物にも代えがたい究極の癒やしとなるのではないでしょうか。

トップ経営者として走り続ける渡辺社長の強さの裏には、こうした心のオアシスが存在しているのだと実感します。大人になってから利害関係のない友人を作ることは非常に困難だからこそ、学生時代の純粋な絆を今も大切に育み続けている姿勢には深く感銘を受けます。人生の荒波を乗り越えるための「心の安全基地」を持つことの大切さを、この二人の美しい友情の歴史が現代を生きる私たちに雄弁に物語っていると言えるでしょう。

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