ビジネスの最前線で走り続けるリーダーにも、人生の転機となる切ない別れがあります。自動車の内装部品大手、河西工業の社長を務める渡辺邦幸氏の胸に刻まれているのは、1980年7月の出来事です。当時、生まれたばかりの長男を連れて実家を訪れた渡辺氏は、恰幅の良かった父親の定五氏が劇的に痩せている姿に衝撃を受けました。この異変に気付いた渡辺氏の直感は、その後の家族の運命を大きく揺り動かすことになります。
定五氏は当時60歳で、日本油脂(現・日油)の専務から子会社の社長を務めるほどの優秀な技術者でした。国のロケット火薬開発事業における米国視察団長という重責を担う矢先、体調不良で駆け込んだ近所の病院で、医師から渡辺氏に緊急の連絡が入ります。告げられたのは、悪性の直腸がんと肝臓への転移、そして「余命4カ月」というあまりにも残酷な宣告でした。SNSでも「突然の宣告にどう向き合うか、胸が締め付けられる」と共感の声が上がっています。
ここで専門用語を解説しますと、直腸がんとは大腸の終着点にあたる直腸にできる悪性腫瘍のことです。進行すると腸閉塞という、腸が詰まって食べ物やガスが通らなくなる危険な状態を引き起こします。渡辺氏は深い絶望に襲われそうな中、深呼吸をして「冷静にならなければ」と自分を奮い立たせました。父親には本当の病名を伏せ、社会復帰が可能であると伝えて励まします。海外にいた妹へも、両親を動揺させないためにあえて連絡を控えました。
私自身の見解としても、この渡辺氏の「親と子の立場が逆転した瞬間」の決断は、家族を守るための究極の愛だったと感じます。東京大学を卒業後、海軍の技術将校として国を支え、戦後も火薬研究の第一人者として厳格に生きてきた父親。そんな偉大な父が、闘病生活の中で「迷惑をかけるな」と優しく呟いたそうです。自らの人生の後始末を息子に託す申し訳なさと、全幅の信頼が入り混じった、切なくも温かい言葉だったのではないでしょうか。
その後、がんは骨にまで転移し、父親の身体は急速に衰えていきました。再入院した姿は、わずか2週間で20年もの歳月が流れたかのように老け込んで見えたといいます。激動の時代を駆け抜けた厳格な男が、最期に見せたのは静かで優しい姿でした。ネット上でも「親の最期を看取る覚悟に涙が出る」と多くの感動を呼んでいます。この切ない別れの経験こそが、現在の渡辺社長の、人々の心に寄り添う経営哲学の根底にあるに違いありません。
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