ヨーロッパの古い市街地を訪れると、独特の硬い靴音が響き渡ることに気づかされます。自動車の進入が制限され、余計な騒音のない静かな空間だからこそ、石畳を叩く踵の音が際立つのです。詩人の四元康祐氏は、この現象を「都市が石で武装している」と表現されています。文明で身を固めた反動からか、現地の公園では多くの人々が裸足になり、水辺で寛ぐ姿が見られます。中には衣服を脱ぎ捨てる「FKK(フリーケelement文化)」という、思想家ルソーの自然回帰に端を発した裸体主義を実践する人々もおり、まるで楽園のようです。
この異国情緒あふれる文化に対し、SNSでは「石畳の文化と裸体主義のつながりが面白い」「西洋人が自然を渇望する理由が分かった気がする」といった、深い感銘を受ける声が多数寄せられています。四元氏が紡ぐ繊細な視点は、私たちが普段何気なく見過ごしている都市のあり方に、全く新しい光を当ててくれるでしょう。
森を巡る国民性の違いとハバロフスクでの気づき
自然に対する捉え方は、国や地域によって驚くほど異なります。フィンランドの人々にとって森は安らげる砦ですが、海を愛するスウェーデン人は森の暗闇や野生動物に恐怖を覚える傾向があるそうです。四元氏がシベリア鉄道の旅で出会ったスウェーデンの女性も、その指摘に深く共感していました。さらに、ロシアのハバロフスクを歩いた際、四元氏は「人々が森の中を歩くように静かに移動している」と感じたそうです。夕闇とともに森が街に溶け込み、足音が消えていく感覚は、ヨーロッパ中心部とは異なる境界の文化を示しています。
このエピソードは、文明のグラデーションを美しく描いています。私たちが暮らすアジアの都市はコンクリートに囲まれていますが、不思議とそこに自然の気配を感じ取ることができます。ヨーロッパが執拗に街の緑化を推進するのは、皮肉にも彼らの内面に瑞々しい草木の感覚が不足しているからかもしれません。形ある自然を追い求める西洋と、心の中に自然を内包する東洋。その対比から、私たちの生き方のヒントが見えてきます。
編集部が考える「内なる自然」と現代社会の心のあり方
四元氏が日本で再会した米寿の詩人は、「自分のなかに自然があるから、庭の木を見るだけで十分」と言い切りました。この言葉には、物質的な豊かさに縛られない究極の精神性が宿っています。現代を生きる私たちは、利便性を追い求めるあまりに、コンクリートの硬さに心を支配されていないでしょうか。静寂の中で耳を澄まし、自分の内側にある自然と対話する時間が今こそ必要です。かつて神を信じた西洋が今何に頼っているのかを問いかけつつ、私たちは足元の柔らかな感覚を呼び覚ますべきではないかと強く感じます。
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