2019年4月に東京都の池袋で発生した高齢ドライバーによる痛ましい交通事故は、日本社会に大きな衝撃と議論を巻き起こしました。プロトレイルランナーの鏑木毅氏も、この事故のニュースに接し、6歳になる娘と妻を持つ立場として、犠牲者のご遺族の深い悲しみを思うと同時に、強い憤りに似た感情に捉えられたと語っています。この出来事は、いつ誰の身近にも起こりうるという、問題の根深さを改めて突きつけるものだと言えるでしょう。
実際、鏑木氏自身も、最近の実家への帰省時に、その危機感を強く実感したそうです。最寄り駅まで迎えに来てくれた72歳のお母様の運転する車が、走り出してすぐに路側帯の歩行者に急接近するという出来事があったからです。これまで大きな事故や交通違反もなく、信頼していたお母様の運転だっただけに、その時のショックは相当なものだったと言います。この体験から、高齢者の運転能力の低下は、決して他人事ではなく、誰もが直面しうる身近な問題だと痛感したとのことです。
免許返納の「厳格化」だけでは不十分な理由
このような状況を受けて、一定年齢以上の高齢者に対する運転免許の保有基準を厳格化し、認知症などの傾向も調べるなど、運転適正の判断基準をより厳しくする案が検討されているようです。もちろん、これは安全確保のために必要な対策ではありますが、疾患とは無縁の高齢者の適性を判断することの難しさも指摘されています。さらに、高齢者から一律に免許を取り上げることが、問題の抜本的な解決につながるかというと、話はそう単純ではないのです。
都市圏のように公共交通機関が発達している地域であれば、大胆な運転規制も比較的容易かもしれませんが、地方の現状は全く異なります。鏑木氏が関わるトレイルランのレースの多くは過疎地域で開催されており、日頃から地元のお年寄りの方々にお世話になっていると言います。仕事で山間部を訪れる際も、高齢運転者標識、いわゆる「四つ葉マーク」を付けた、危険な運転をする車に遭遇することが珍しくないそうです。この背景には、鉄道の駅から遠く、バスなどの公共交通機関の運行本数が極端に少ないか、あるいは実質的に利用できないという地方特有の事情があるため、お年寄りが危険を承知で車を運転せざるを得ない切実な理由があるのです。
地方の交通インフラを維持することの難しさには、コストの問題が大きく立ちはだかっています。かつて県庁職員として交通行政にも携わった経験を持つ鏑木氏によると、利用者の減少傾向の中でバス路線を維持しようと運行本数を減らせば、さらに利用者が離れてしまいます。かといって公金を投入して維持しようとすれば、「少数の利用者のために税金を使う意味があるのか」という批判の的になりかねません。これは、地方行政が抱えるジレンマであり、単なる「交通問題」として片付けられない、地域社会の存続に関わる根深い課題だと言えるでしょう。
また、実家では、救急車を呼ぶほどではないが、街の病院まで連れて行ってほしいと近所のお知り合いから両親に頼まれたことがあったそうです。高齢者の単身世帯にとって、タクシーの利用は経済的な負担が大きく、知っている人に付き添ってもらう方が精神的にも安心できるという、人の温かい思いやりが垣間見えるエピソードです。このように、高齢ドライバー問題は、交通安全だけでなく、地域コミュニティの維持や福祉といった多岐にわたる側面を持っていると私は考えます。
規制緩和と「共助」の精神が解決の糸口に
こうした費用の補助を使途を限定して行っている自治体も一部には存在するようです。さらに、全国には地域住民がコミュニティーを結成し、自主的な力を合わせることで、比較的少ない費用負担で交通課題を解決している自治体もあると聞かれます。このような先進的な制度を広く普及・拡大させていくためには、従来の行政の枠にとらわれない柔軟な発想と、思い切った規制緩和が不可欠でしょう。
もちろん、交通問題の究極的な解決策の一つは、自動運転技術を搭載した自動車が広く普及することでしょう。しかし、行政による規制のハードルが高い日本では、その実現にはまだ相当な時間を要することが予想されます。高齢ドライバーをめぐる問題は、単なる運転技術の問題ではなく、地域経済の活性化、高齢者福祉、そして雇用など、様々な課題が複雑に絡み合っています。これまでの固定観念にとらわれない新しい発想やテクノロジー、そして地域住民同士の「共助」の精神をもって、この難題の解決の糸口をなんとか見つけ出していくべきだと、私は強く主張します。
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