「小学校の先生は何でも教えられてすごい」という言葉を耳にすることがありますが、実際には教師も一人の人間であり、得意不得意が存在します。2019年10月14日、ある5年生の担任教師が綴ったエピソードは、そんな教師の「弱さ」が子どもの主体性を引き出すという、教育の真髄を私たちに教えてくれました。理科を苦手とするこの教員は、1学期のメダカの飼育授業を通じて、予想もしなかった感動的な光景を目の当たりにすることになります。
クラスに迎え入れた20匹のメダカたちは、子どもたちにとって瞬く間にアイドルとなりました。しかし、飼育は一筋縄ではいきません。翌朝、無残にも2匹のメダカが命を落としていたのです。悲しみに暮れる児童に対し、教師は正解を提示するのではなく「一緒に考える」というスタンスを選びました。SNS上では「完璧な先生より、一緒に悩んでくれる先生の方が信頼できる」といった、共感と応援の声が多く寄せられています。
死因を究明しようと、子どもたちの探究心に火がつきました。塩素の反応や水温の影響など、自ら仮設を立てて調査を開始したのです。ある子は図書室へ走り、ある子は理科の得意な教員へアドバイスを求めに行きました。ここでいう「探究学習」とは、教科書の知識をなぞるだけでなく、実体験に基づいた疑問を解決するために自発的に動く学習形態を指します。教師は環境を整える「ファシリテーター」としての役割を全うしました。
教科担任制の議論の中で見えた「学級担任」ならではの柔軟性
悲しい別れを繰り返した末、ある朝の教室に歓喜の声が響きました。メスのおなかに小さな受精卵が見つかったのです。この劇的な瞬間を逃さず、教師は即座に時間割を変更して理科の観察授業を実施しました。このように、状況に応じて柔軟に学習内容を組み替えられる機動力こそ、一人の教員がクラスを統括する「学級担任制」の大きなメリットと言えるでしょう。予定調和ではない学びが、子どもの心に深く刻まれた瞬間でした。
昨今の教育現場では、教員の負担軽減を目的とした「教科担任制(特定の教科を専門の教員が教える仕組み)」の導入が議論されています。確かに専門性の向上は重要ですが、私はこのエピソードを通じて、教師が「分からない」と認めることの大切さを痛感しました。大人が壁にぶつかり、それを乗り越えようとする背中を見せることは、子どもたちに「失敗を恐れず学んでいいのだ」という究極の安心感を与えるのではないでしょうか。
最終的に、子どもたちは教科書の範囲を優に超える知識を習得していました。教育の本質は、知識を一方的に注入することではなく、未知の事象に対する好奇心を育むことにあります。今回のメダカの授業は、教師の苦手意識が結果として子どもたちの自立を促した、まさに怪我の功名とも呼べる素晴らしい事例です。今後も制度の効率化だけでなく、こうした「人と人との触れ合い」から生まれる学びの価値を大切に守り続けていきたいものです。
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