2025年に開催を控える大阪・関西万博に向けて、準備が着々と進んでいます。この一大プロジェクトの立役者の一人が、建築史家であり大阪府立大学特別教授の橋爪紳也さんです。橋爪さんは幼少期から「万博ハカセ」として知られ、誘致段階からコンセプト作りを力強く牽引してきました。
橋爪さんの原点は、2019年11月18日現在の視点から約半世紀前に遡る、1970年の大阪万博にあります。当時小学4年生だった彼は、なんと18回も会場へ足を運んだそうです。その記憶は今も色褪せず、駅を降りた瞬間に目に飛び込んできたパビリオンの背面にさえ、胸を高鳴らせていたといいます。
SNS上では「1970年の熱気をもう一度味わいたい」という往年のファンの声や、「今の時代に万博は必要なのか」という若者の疑問が交錯しています。しかし橋爪さんは、懐疑的な意見を跳ね除けるような情熱を持っています。彼は誰も見たことがない、全く新しい万博の姿を追い求めているのです。
1970年大阪万博が遺した「未来への衝撃」
当時の会場では、岡本太郎氏による「太陽の塔」内部の生命の樹が、訪れる人々に強烈なインパクトを与えました。また、パビリオンと呼ばれる展示館では、最新のマルチ映像技術が駆使されていたのです。パビリオンとは、博覧会において企業や国が最新技術や文化を披露するために設置する特設展示施設のことを指します。
橋爪さんは、北欧のスカンジナビア館で目にした、公害問題を提起する展示に衝撃を受けたそうです。明るい未来を謳う館が多い中で、社会課題に切り込む姿勢は、少年の心に深く刻まれました。当時の万博は、ただの技術展示の場ではなく、人々の思考を刺激する知的な冒険の場でもあったのでしょう。
当時の情熱は数字にも表れています。2019年11月18日時点で発行されている資料によれば、約半年間の来場者数は6400万人を超え、迷子の数は4万件以上に達しました。まさに日本全体が熱狂に包まれた、空前絶後のお祭りだったことが伺えます。
2025年へ繋ぐ、見たことのない「未知の体験」
70年万博からは、缶コーヒーやワイヤレスホンといった、現代の私たちの生活に欠かせない技術が数多く誕生しました。しかし橋爪さんは、最大の遺産(レガシー)は技術そのものではなく、日本中がリアルタイムで共有した「異常なまでの熱気」だったと確信しています。
当時は若手や中堅のクリエイターが中心となり、重鎮たちの「自由にやれ」という後押しを受けて、前例のない挑戦を続けました。知識や経験だけでは語れない「見たことがないものを見たい」という純粋な欲求が、あの奇跡のような空間を作り上げたのではないでしょうか。
現在、20代から40代の層には、国際博覧会を実際に体験したことがない人も少なくありません。だからこそ、橋爪さんは新しい世代と共に「未知の博覧会」を創り上げたいと考えています。万博は過去の遺物ではなく、未来をプロデュースするための最高の舞台なのです。
私自身の考えとしても、情報が溢れる現代だからこそ、物理的な「場」に集まり、五感で未来を感じる体験には大きな価値があると感じます。1970年の熱気を受け継ぎつつ、デジタルネイティブ世代が度肝を抜かれるような、2025年の新しい景色を期待せずにはいられません。
コメント