1980年、一人の若きビジネスマンが大きな決断を下しました。当時、住友商事で同期よりも早く昇進を果たし、将来を嘱望されていた鈴木博之氏です。しかし、組織の階段を一歩ずつ登る年功序列の仕組みに違和感を抱いていた彼は、義父からの「海外展開のために経験を貸してほしい」という言葉に応え、成長著しい丸一鋼管への転職を決めました。
新天地での挑戦は、1981年頃の米国ヒューストンから始まります。入社わずか2年目にして事務所長に就任した鈴木氏は、石油採掘に不可欠な「油井管」の販路開拓に乗り出しました。油井管とは、地下深くから原油を引き出すための特殊な鋼の管のことで、過酷な環境に耐える強度が求められる重要な資材です。
現場で彼を待っていたのは、日本の常識を覆す顧客の声でした。日本では溶接部分にわずかな盛り上がりを残す方が丈夫だと信じられていましたが、米国の顧客は「滑らかにへこませてほしい」と要求したのです。鈴木氏はすぐさま日本の製造現場へフィードバックを送り、柔軟に製品を改善することで、当時の原油ブームの波を鮮やかに捉えました。
絶頂から一転した試練、そして得られた「立ち止まる勇気」
受注が生産を上回り、出荷調整に追われるほどの活況に沸いた日々も束の間、1982年後半には厳しい冬の時代が訪れます。原油価格の暴落をきっかけに、石油会社が設備投資を一斉に縮小したのです。昨日までの注文はキャンセルされ、さらには製品の品質を巡る損害賠償訴訟にまで発展するという、想像を絶する困難に直面しました。
この訴訟は、実際には「在庫を引き取りたくない」という顧客側の苦しい事情も背景にあったようですが、不本意ながらも和解金を支払う結果となりました。SNS等でも「好調な時ほど冷静さが必要」という声が多く聞かれますが、まさに鈴木氏はこの時、市況の激しい変動に翻弄される「山高ければ谷深し」という相場の厳しさを骨身に染みて感じたのです。
部下たちの士気を保つため、夜のテニスや食事を共にしてチームを支えた日々は、彼を真のリーダーへと成長させました。仕事が激減したからといって、無意味な作業で時間を潰させるのではなく、将来を見据えた戦略を練る時間へと充てることの大切さを学んだのです。
勢いに乗っている時こそ、あえて立ち止まって客観的に状況を整理する。この「立ち止まる勇気」こそが、不透明な時代を生き抜くビジネスパーソンにとって最も必要なスキルではないでしょうか。現在の鈴木会長の経営哲学の根底には、ヒューストンの荒波で磨かれた貴重な教訓が息づいているのです。
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