2019年12月27日、定年退職を機に新しい生活をスタートさせたある男性のエピソードが注目を集めています。雇用形態が変化し、週末の休息や平日の自由な時間を確保できるようになった彼は、これまで以上に文化的な体験を深めたいという意欲に燃えていました。カルチャースクールで新しい知識を得たり、かつてDVDで観た名作をあえて映画館(名画座)のスクリーンで再確認したり、あるいは専門書店で趣味を追求したりといった、豊かなセカンドライフを夢見ているのです。
高齢化が進む現代社会において、こうした身近な文化施設は今後ますます重要な役割を担っていくに違いありません。しかし、その一方で利用者からは切実な悩みの声も漏れ聞こえてきます。知人の男性によれば、こうした施設のスタッフには、どこか「上から目線」で接してくる人が少なくないというのです。文化を守り、伝えているという自負が、無意識のうちに排他的な空気や、近寄りがたい尊大な態度として表れてしまっているのかもしれません。
SNS上でも「こだわりが強い店主の店は入りにくい」「教養をひけらかすような態度は残念」といった反応が散見されます。一方で、成功している施設には共通点があります。ある有能な企画スタッフは、常連の方へ自ら電話をかけ、丁寧な言葉で講座の魅力を伝えているそうです。こうした「相手に寄り添う姿勢」こそが、リピーターを生む鍵となります。専門知識を分かりやすく噛み砕き、相手の目線に合わせて提供する「ホスピタリティ」の精神が求められているのでしょう。
ここで思い出したいのが「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という古くからの言葉です。これは、稲が成長して実を結ぶほど、その重みで穂先が低く垂れ下がる様子を、人間の徳や学問の深さに例えたものです。つまり、立派な人ほど決して威張らず、他者に対して謙虚に振る舞うべきであるという教訓を私たちに与えてくれます。文化を支えるプロフェッショナルであればこそ、この稲穂のような謙虚さを忘れてはならないはずです。
私は、文化施設の価値とは知識の量だけでなく、それを受け取る人との「心の交流」にこそ宿ると考えています。どんなに素晴らしい内容でも、受け手が萎縮してしまっては意味がありません。提供する側が自身の誇りを「親しみやすさ」へと変換できたとき、そこにはシニア世代が安心して集える真のサロンが誕生するはずです。誰もが等しく文化を享受できる環境を作るために、サービスを届ける側がまず襟を正し、柔和な笑顔で門戸を広げることが不可欠でしょう。
コメント