慶応ボーイ・鈴木茂晴の破天荒な大学時代!マージャン三昧からの4学部全通、竹内まりや輩出サークルでの「酒と銀座」の青春群像劇

日本証券業協会の会長を務める鈴木茂晴さん。その輝かしいキャリアからは想像もつかない、驚くほど破天荒でエネルギッシュな大学時代をご存じでしょうか。大学受験の失敗から始まった彼の青春ストーリーは、現代の私したちの想像をはるかに超える、昭和の熱気とユーモアに満ちあふれています。SNS上でも「これぞ古き良き時代の慶応生」「エピソードのスケールが違いすぎる」と、当時のダイナミックな学生生活に羨望の声が集まっています。

大学受験に失敗した鈴木茂晴さんは予備校へ通い始めますが、そこには高校時代の仲間が100人以上もいました。朝、予備校の門で顔を合わせると、4人そろった時点で向かう先は教室ではなくマージャン荘だったといいます。このような怠惰な日々を猛省した彼は、予備校へ行くのをやめて自宅での猛勉強に切り替えました。テストの日だけ予備校へ向かうスタイルに変えたところ、成績は驚くほど急上昇していったそうです。

受験が近づいたある日、横浜育ちで慶応義塾大学に憧れを抱いていた母親から「慶応を受けてみなさい」と勧められます。1964年10月1日の東海道新幹線開業から間もない当時、京都から東京へ行くのは大旅行でした。鈴木茂晴さんは東京見物を兼ねて受験することを決め、早稲田大学の商学部、慶応義塾大学の経済学部、法学部、商学部の4学部を受験します。すると、なんとすべての学部に合格するという快挙を成し遂げたのです。

大学でも水泳を続けるか迷っていた鈴木茂晴さんですが、母親の助言もあり、楽しそうなサークルを探すことにしました。日吉キャンパスを歩いていると、ギターを片手にカントリーソングを歌い、女子学生に囲まれる大人びた先輩に目を奪われます。「これだ」と直感して入部したのが、軽音楽同好会「リアルマッコイズ」でした。なお、その先輩は当時4回目の1年生という、驚きの留年制度を利用した強者だったそうです。

リアルマッコイズは当時、どこにでもある親しみやすい音楽サークルで、鈴木茂晴さんは演奏よりもお酒を飲むことに明け暮れていました。しかしこのサークル、実は後に音楽界のレジェンドとなる竹内まりやさんをはじめ、多くの著名ミュージシャンを輩出する名門へと変貌を遂げます。ネットでは「あの竹内まりやの先輩だったとは」「お酒ばかり飲んでいたサークルから世界的歌姫が生まれるなんて奇跡」と大きな話題を呼んでいます。

大学生活が始まると、東京六大学野球リーグで慶応義塾大学が優勝を飾ります。慶早戦に勝利した日の夜、仲間たちと銀座のビアホール「ライオン」に集まると、街全体を巻き込んだ盛大な酒盛りが始まりました。先輩たちに連れられて何軒もお店をはしごしたものの、鈴木茂晴さんはお財布を開いた記憶が一切ないそうです。当時はお祝いに駆けつけた面識のないOBたちが、後輩のためにすべての飲み代を気前よく奢ってくれる時代でした。

しかし、そんな楽しい狂騒の裏には、大都会ならではの苦い現実も潜んでいました。銀座でのどんちゃん騒ぎから一夜明けて大学の講義へ出席すると、なんとクラスメートが2人も退学処分になっていたのです。理由を聞くと、慶早戦の夜に羽目を外しすぎて泥酔し、女性に対して乱暴を働いて警察に逮捕されたのだといいます。京都から上京したばかりの若き鈴木茂晴さんにとって、このスピード感と刺激は目を見張るものばかりでした。

当時の住まいは、父親の実家である横浜の「玉泉寺」というお寺でした。本堂の横にある部屋を下宿先として借りていましたが、窓を開ければすぐ隣には墓地が広がり、早朝からはけたたましい鐘の音と読経の声が響き渡る環境でした。さすがに心が休まらなかったのか、わずか1年で大学近くの古びたアパートへ引っ越すことになります。目まぐるしく変化する環境の中で、彼の人間性とバイタリティは磨かれていったのでしょう。

激動の時代を駆け抜けた鈴木茂晴さんのエピソードは、単なる昔話にとどまらず、私たちが忘れてしまった「破天荒なエネルギー」の大切さを教えてくれます。時に失敗し、お酒に溺れ、それでもチャンスを掴んでいく姿勢こそが、後の日本を引っ張るリーダーとしての器を育てたのかもしれません。綺麗にまとまった現代の学生生活も素敵ですが、時には彼らのように、型破りな青春の熱量に身を任せてみるのも悪くないのではないでしょうか。

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