1985年10月、43歳を迎えた澤部肇氏は、古巣であるテープ部門へと戻ることになりました。入社以来15年もの間、経営企画のエリート街道を突き進んできた彼にとって、苦境に立たされていた古巣の再建は自ら望んだ挑戦だったのです。しかし、現場の反応は冷ややかなものでした。長年社長のそばにいた彼に対し、周囲は「経営陣から送り込まれたスパイ(御庭番)」ではないかと疑いの視線を向けたのです。
当初、必要な情報は一切入ってこず、まるで「お客様」のように腫れ物に触るような扱いを受けたといいます。SNS上でも「現場の心理的な壁は高い」「エリートの異動あるある」と同情の声が集まりそうなこの状況。しかし、澤部氏は腐りませんでした。周囲から「社長はどう考えているのか?」と問われるたびに、自らの足で稼いだ現場の案であることを主張し続け、本音でぶつかることで少しずつ信頼を勝ち得ていったのです。
組織の壁を打ち破る大胆な改革と「茶わん酒」の教訓
澤部氏が最初に着手したのは、製造と販売が分断されていた組織の統合です。当時のテープ部門は、製造側が黒字でも販売側が赤字という歪な構造で、現場に危機感が欠如していました。彼はこの二つを合体させ、市場の厳しい風を直接製造現場に送り込む決断を下します。この改革は、後にTDKが変化の激しい時代を生き抜くための大きな布石となりました。単なる「数字の調整」ではなく、意識改革を狙った本質的な一手だったといえます。
特筆すべきは、彼がエリートのプライドを捨てて現場に飛び込んだ姿勢です。地方の小売店を回り、雑然とした事務所で「茶わん酒」を酌み交わしながら店主の本音を聞き出す。本社での華やかな商談とは対照的な、立って行う泥臭い交渉の日々こそが、彼の血肉となりました。「マーケティング」という横文字の言葉では片付けられない、商売の原点をこの時期に学んだのです。
筆者の視点から言えば、組織のリーダーに最も必要なのは、こうした「鼻をへし折られる経験」ではないでしょうか。本社で机上の論理を振りかざすだけでは、現場の痛みは分かりません。澤部氏が後にトップとして大成したのは、40代という脂の乗った時期に、水道の故障対応や小売店の陳列といった「縁の下の苦労」を身をもって体験し、多角的な視点を養ったからに他なりません。
かつての部下や先輩たちが、彼を温かく、時に厳しく見守ったエピソードからも、澤部氏の人間味が伝わります。自分を「御庭番」扱いした現場の人々をも、最終的には味方に変えてしまう。それは、彼が権力を背景にするのではなく、一人の人間として現場に寄り添った結果です。2019年12月16日に綴られたこの回想録には、現代のビジネスパーソンが忘れてはならない、強くてしなやかな仕事の哲学が詰まっています。
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