長年にわたり芸能界の第一線で活躍し続ける歌手で俳優の杉良太郎さん。実は彼が30年もの間、ベトナムの子供たちを支え続けていることをご存じでしょうか。SNS上では「売名と言われても続ける姿に胸が熱くなる」「本当の慈善活動とは何かを教えてくれる」と、彼の無私の行動に多くの感動の声が寄せられています。有名人ゆえの心ない言葉に屈せず、私財を投じて海を越えた家族の絆を育んできたその歩みには、誰もが深く感銘を受けるはずです。
杉良太郎さんがベトナムの支援活動をスタートさせたきっかけは、1980年代後半に現地で公演を行った際、足を運んだ孤児院での衝撃的な光景でした。身寄りのない子供たちが口にしていたのは、わずかなお米に草を混ぜただけの、ひどい匂いが漂う粗末なおかゆだったのです。この過酷な現実を目の当たりにした彼は、胸を痛めて立ち上がりました。そして、これまでに累計152人もの恵まれない孤児たちを自身の「里子」として迎え入れ、経済的な生活援助を続けています。
最初の里子となった少女ガーさんとの出会いは、今も忘れられないといいます。お土産に持参したおもちゃや熱いお菓子に目もくれず、「物よりもお父さんとお母さんが欲しい」と泣きながら訴える彼女の姿に、杉良太郎さんは建物の外へ飛び出して涙を流しました。そんな温かい愛情を注がれて育ったガーさんも、現在は40歳を超えています。大人になった今でも、彼に再会すると嬉しそうに「お父さん」と呼びながら抱きついてくるそうで、強い絆が伺えます。
悲しい別れもありました。両親がエイズ(後天性免疫不全症候群)を発症していた男の子のヒエウくんは、自身も同じ病を患い、わずか6歳でこの世を去ってしまったのです。エイズとは、ウイルスの感染によって免疫力が著しく低下し、様々な感染症にかかりやすくなる病気です。当時の劣悪な栄養状態や医療環境も重なり、小さな命を守り抜くことはできませんでした。杉良太郎さんは、抱っこしたときの彼のぽっちゃりとした愛らしい感触を、今も鮮明に覚えています。
杉良太郎さんの素晴らしい点は、単にお金や物資を与えるだけの慈善活動に留まらないところです。1990年代前半には、現地のハノイやホーチミン市に日本語学校を自ら開設しました。これは、一時的な生活費を支援するよりも、言葉を学ぶことで通訳などの安定した職業に就き、自立してもらう方が長い目で見れば本人のためになると確信したからです。この熱意には、当時のベトナムの最高指導者も深く賛同し、学校の敷地を無償で提供してくれました。
彼の行動力は、時に政治の勢力図や国家の危機をも動かします。2008年に日本政府による政府開発援助、いわゆる「ODA(発展途上国の経済や社会の発展を支援するための公的資金援助)」が、現地の汚職事件によって凍結された際のことです。当時の首相から「一握りの不正のために国の発展を遅らせないでほしい」と懇願された杉良太郎さんは、すぐさま日本政府へ再開を進言しました。彼の強い説得により、なんとわずか2カ月後には国交の援助が再開されたのです。
日本とベトナムの架け橋として約15年間もの間、両政府の「特別大使」を務めてきた杉良太郎さんですが、2019年8月1日付でその華やかな肩書を自らの意思で返上しました。役職という形式的な壁を取り払い、一人の人間として本音で現地の人々と付き合いたいという、彼らしい誠実な決断です。辞意を伝えられた現地の官房長官はしばらく沈黙した後、「あなたはずっと私たちの兄であり先生です」と、涙が溢れるような最大の敬意と感謝の言葉を贈りました。
芸能界に未練はないと語る彼は、2020年9月に妻の伍代夏子さんが出演する新歌舞伎座の舞台プロデュースを控えており、今なお精力的に活動しています。しかし、人生の最終目標は自給自足の農家だと笑顔で明かします。地位や名誉に関係なく、誰もが損得抜きで身の丈に合う社会貢献を少しずつ行えば、世界はきっと優しくなります。偽善や売名という雑音を一切気にせず、人間の善意を信じて行動する杉良太郎さんの背中は、私たちに大切な教訓を示しています。
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