日本のプロ野球誕生100年!新橋・品川がルーツの「始球式以前」の知られざる歴史とカーブの祖

2020年は、日本で初めてのプロ野球チームである「日本運動協会」が産声を上げてから、ちょうど100年目を迎える記念すべきアニバーサリーイヤーです。この節目の年に、日本のベースボールの礎を築いた知られざる偉人に注目が集まっています。ネット上では「品川にそんな歴史があったとは驚き」「野球の聖地といえば神宮や甲子園だと思っていたけれど、品川も外せない場所なんだね」といった驚きと感動の声が数多く寄せられており、歴史ファンの間でも大きな盛り上がりを見せています。

その中心人物こそが、日本初の民間車両メーカーである平岡工場の創業者、平岡凞(ひろし)氏です。徳川御三卿の一角を占める田安家の家老の家に生まれた彼は、15歳という若さでアメリカへ留学しました。ボストンやフィラデルフィアで機関車や客車の最先端の製造技術を熱心に学ぶ傍ら、現地で本場のベースボールに魅了されたのです。帰国後に工部省鉄道局へ入り新橋鉄道局へ配属された後も、アメリカで仲間と白球を追いかけた興奮を忘れることはありませんでした。

平岡氏は1878年に、我が国初の野球クラブチームとされる「新橋アスレチック倶楽部」を自ら設立します。さらに当時のアメリカのスター選手であるアルバート・スポルディング氏と文通を重ねて親交を結び、彼から最新の用具やルールブックを仕入れました。このスポルディング氏は、後に世界的な大手スポーツ用品メーカーを立ち上げる人物です。日本野球の夜明けには、このように本場アメリカのトッププレイヤーとの熱い繋がりが存在していたのはロマンがあります。

行動派の平岡氏は、熱意のままに日本初の本格的な野球場の建設にも乗り出しました。鉄道局の上層部を見事に説得し、1882年に品川八ツ山下へ「保健場」と呼ばれるグラウンドを完成させたのです。この保健場こそが、現代の私たちが慣れ親しんでいる野球場の先駆けと言える存在でしょう。ここで彼は、後に数々の名勝負を繰り広げる旧制第一高等学校や早稲田大学、慶應義塾大学の学生たちに、本場の技術を惜しみなく伝授していきました。

留学時代に魔球の習得に励んだ平岡氏は、「日本で初めてカーブを投げた男」としても有名です。カーブとは、投手の利き腕とは逆の方向へ曲がりながら落ちる球種で、打者のタイミングを外す現代でも必須の変化球です。これほど歴史深いエピソードを知ると、東京の品川という街が、実は日本野球における重要な聖地の一つである事実に深く納得させられます。プロ野球100年の歴史の源流に触れ、品川の街を改めて歩いてみると、普段とは違う景色が見えてくるはずです。

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