1995年1月17日に発生し、多くの尊い命が奪われた阪神大震災から、2020年1月17日でちょうど25年という大きな節目を迎えました。被災地となった兵庫県神戸市や西宮市などでは、激しい揺れが襲った午前5時46分に合わせて、各地で厳かな追悼行事が執り行われました。夜明け前の暗闇が包む中、会場には未明から非常に多くの人々が足を運んでいます。それぞれが歩んできた四半世紀という激動の道のりを静かにかみしめながら、犠牲となった方々へ深い祈りを捧げているのです。
神戸市中央区にある東遊園地では、震災の犠牲者全員の氏名が刻まれた銘板の前で、涙を流す人々の姿が絶えません。愛する家族や友人の名前にそっと手を当ててすすり泣く方や、生前に好きだった果物やお酒を丁寧に供える様子が見られました。震災で自宅が全壊し、当時18歳だった受験生の次男を亡くされた80歳の中田弘さんは、元の生活を取り戻すために必死で生き抜いてきた日々を振り返ります。自宅を再建できたのは2013年のことであり、実に20年近い歳月を要しました。
震災を知らない若い世代へ語り継ぐ教訓と、私たちが果たすべき役割
街並みは美しく整備されて復興を遂げたように見えても、愛する我が子を失った無念さや深い悲しみは、当時のまま全く変わらないと中田さんは涙を浮かべます。激甚な災害がもたらす傷痕は、どれほど時間が経過しても決して完全に癒えるものではないという現実を、私たちは厳粛に受け止めるべきでしょう。外見的な都市の復旧だけでなく、被災された方々の心に寄り添い続ける息の長い支援やコミュニティのつながりが、今なお極めて重要であると強く実感させられます。
神戸市街を一望できる諏訪山公園では、午前5時46分に黙とうが捧げられた後、77歳のトランペット奏者である松平晃さんが鎮魂のメロディを響かせました。集まった人々は目を閉じ、美しい音色に耳を傾けながら故人を偲んでいます。また、兵庫県芦屋市の西法寺では、当時炊き出しの防寒や調理で大活躍したドラム缶を鐘の代わりに鳴らし、約30人の市民が追悼を行いました。生活の知恵から生まれたドラム缶の音が、当時の過酷な記憶と人々の連帯感を今に伝えています。
ここで登場する「ライフライン」とは、私たちの日常生活を維持するために絶対に欠かせない電気、ガス、水道、そして通信や輸送などの基盤となる重要な公共インフラ設備を指す言葉です。震災当時はこれらが完全に遮断され、多くの人々が極限状態での生活を余儀なくされました。毎年この寺を訪れている58歳の主婦、松井規佐子さんは、インフラが止まったことで実家へ避難することを余儀なくされ、元の自宅に戻るまでに3カ月もの期間がかかった経験を持っています。
この25年という節目に対し、SNS上では「決して震災の記憶を風化させてはならない」「日常のありがたさを改めて考え直す日だ」といった多くの追悼コメントや決意の投稿が溢れています。松井さんが語るように、震災を経験していない若い世代の人々が、この惨事を他人の出来事ではなく自分自身の問題として想像し、受け継いでいくことが何よりも求められているでしょう。いつどこで起こるか分からない災害に対し、過去の教訓を未来へ紡ぐ知恵が今こそ試されています。
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