激しい揺れが一瞬にして人々の平穏な日常を奪い去った阪神淡路大震災の発生から、2020年1月17日で25年という節目を迎えました。時の経過とともに街の景色は変わっても、愛する人を失った遺族の心の傷が癒えることはありません。それでも、深い悲しみを抱えながら他者を支えるために懸命に生きる人がいます。
SNS上では「もう25年も経ったのか」「震災を経験していない世代が増える中、記憶を語り継ぐことの重要性を改めて感じる」といった声が寄せられています。風化させてはならないという強い思いと、被災者への寄り添いの精神が、今もネットを通じて多くの人々の間で共有されているようです。
兵庫県西宮市にある震災記念碑公園では、2020年1月17日も多くの人が追悼の祈りを捧げました。その中に、亡き家族の名前が刻まれた碑を静かに見つめる岡田哲也さんの姿がありました。現在バレーボール部の監督や心理カウンセラーとして活躍する彼は、毎年この場所で天国の家族に近況を報告しています。
1995年1月17日の午前5時46分、当時26歳だった岡田さんは激震に襲われました。2階の自室にいた彼は辛うじて救出されましたが、1階で就寝していた両親と姉、そして幼いめいの4人は、倒壊した家屋の下敷きとなり帰らぬ人となったのです。冷たくなった家族の手を前に、彼は言葉を失いました。
「自分が2階にいたせいで、その重みで1階が潰れてしまったのではないか」という根拠のない自責の念が、長年彼を苦しめ続けました。大好きなバレーボールに打ち込んでも心は晴れず、暗闇の中を彷徨うような日々が続いたそうです。そんな彼の転機となったのは、震災から9年が経った夏の出来事でした。
転勤先の滋賀県で小さな地震に遭遇した際、予想以上の恐怖に襲われた岡田さんは、会社の医務室を訪れました。そこで初めて、胸の奥にしまい込んでいた震災の記憶と家族を失った悲しみを他人に打ち明けたのです。保健師の温かい言葉に救われた彼は、ようやく自らの過去と向き合う覚悟を決めました。
「もし自分が死んだ側なら、残された家族には幸せになってほしいと願うはずだ」と気づいた彼は、支えられる側から支える側へと回る決意を固めます。働きながら専門学校で学び、2007年頃に心理カウンセラーの資格を取得しました。心の問題を専門的な知識でケアする専門職への道を開いたのです。
2011年からは母校である関西大学のバレーボール部で監督を務める傍ら、学生たちのメンタルケアや就職活動の支援も行っています。彼は単に答えを与えるのではなく、相談者が抱える悩みの根本を一緒に探る姿勢を大切にしています。これこそ、自身の葛藤の経験から導き出した対話方法です。
これまでの25年という歳月は、岡田さんにとって「社会における自分の役割を見つけるために必要な時間」だったといいます。大きな悲劇から立ち上がり、他者の心に寄り添う彼の姿には胸を打たれます。つらい経験をした人だからこそ、他人に優しくなれるという人間の強さを教えられる気がいたします。
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