散歩の途中やお気に入りの日常のなかで、「えっ、嘘でしょう」と思わずお店の前で立ち尽くしてしまった経験はありませんか。2020年1月29日、ある八百屋さんの突然の閉店をめぐるエッセイが、多くの人の心に寂しさと温かい余韻を広げています。実は、このように慣れ親しんだ街の風景が前触れもなく消えてしまう切なさは、今や多くの人が直面している現代の課題でもあるのです。SNS上でも「うちの近くの店も最近閉まった」「おじちゃんの顔が見られないのは寂しい」といった共感の声が相次いで寄せられています。
今回話題となっているのは、いつも威勢よく果物の魅力をアピールしていた元気なおじさんの八百屋さんです。そこには別れの言葉を綴った挨拶文などはなく、ただ冷然と「テナント募集」の文字が掲げられているだけでした。長年地域に愛されてきた老夫婦の店舗だったこともあり、通りがかる人々は驚きを隠せない様子で、小さなため息や驚きの声を漏らしながら通り過ぎていきます。看板が外された空間はあまりにも静かで、これまでの活気が嘘のようであり、時の流れの残酷さを物語っているかのようです。
そのお店はいわゆる、天井からザルを吊り下げて小銭を保管する、昔ながらのスタイルを貫いていました。何十年も商売を続けていれば、お釣りを手際よく渡す職人技が身につきそうなものですが、ここの店主はいつも慎重に時間をかけてお金を数えていたそうです。その不器用で人間味あふれる一連の動作こそが、むしろ定連客の心を惹きつける魅力になっていました。あえて効率化を求めない、そんなゆったりとしたコミュニケーションが交わされる空間は、今となっては非常に貴重な存在だったと言えます。
店主が時間をかけてお釣りを準備してくれるお決まりのひと時は、お客さんにとっても絶好の会話のチャンスでした。「この前の果物、すごく美味しかったよ」と話しかければ、店主が嬉しそうに笑顔を返してくれる、そんな温かいキャッチボールがそこには存在していたのです。また、近くの食堂で店主がアジフライを大急ぎで頬張る姿を目撃し、その健康を密かに案じていたファンもいました。こうした何気ない日常の交流こそが、機械的な売買だけでは決して得られない、個人商店ならではの醍醐味でしょう。
何も事情が分からないまま大好きな場所を失うと、私たちはつい「体調を崩されたのではないか」と悪い方向へ考えてしまいがちです。しかし、顔なじみの店主が今頃は趣味の釣りを存分に満喫し、第二の人生を謳歌していると想像してみるのも素敵ではないでしょうか。八百屋の店主が実は大の魚好きだったかもしれないという、そんなクスッと笑えるユーモラスな妄想は、お互いの人生を尊重する優しい優しさに満ちています。確かな情報がないからこそ、ポジティブな物語を紡いで送り出したいものです。
私自身、こうした地域に根ざした個人商店の灯が消えていく現状には、深い寂しさを覚えずにはいられません。現代社会はインターネット通販やセルフレジの導入によって劇的に便利になりましたが、それと引き換えに、人と人が言葉を交わす「心の拠り所」が減少しているようにも感じられます。お店の経営者にとっては数多くいる顧客のひとりに過ぎなくても、買い手にとっては日常を彩る大切な登場人物なのです。街の宝物のような場所が存続できるよう、日頃から意識して足を運びたいと考えさせられます。
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