1995年1月17日に発生した阪神大震災は、日本の社会構造を根底から揺るがす大きな節目となりました。近代化を遂げた大都市を直撃した初の大地震は、これまでの防災観念を劇的に塗り替えたのです。四半世紀が経過した2020年1月18日の現在でも、当時の記憶と教訓は決して色あせることはありません。それどころか、私たちがこれからの社会のあり方を模索するための、極めて重要な出発点であり続けているのではないでしょうか。
この未曾有の災害を契機に、建物の安全を守る「耐震設計」の基準は劇的な進化を遂げました。具体的には、大規模な揺れに見舞われても致命的な崩壊を防ぐ「2段階設計法」という手法が導入されています。さらに、被害をゼロに抑えるのは難しくても、工夫次第で被害を最小限に食い止めるという「減災(げんさい)」の思想が広く浸透しました。専門家からも、あの災厄がなければ古い設計手法が続いていたかもしれないとの声が上がっています。
また、地下にある岩盤のズレである「活断層(かつだんそう)」の調査が進み、将来の地震発生確率が公表される仕組みも整いました。どこに暮らしていても大地震に遭遇するリスクがあるという認識は、東日本大震災などを経て、現代を生きる私たちの心に深く根ざしています。SNS上でも「明日は我が身として備えを見直したい」「あの震災が今の防災の土台になっていることを忘れてはならない」といった、未来へ向けた決意の声が数多く見られました。
困ったときにはお互いに支え合うという意識が当たり前になったのも、この震災がきっかけです。災害ボランティアという存在が社会に定着し、民間の非営利団体を支援する「NPO法」や、被災者の家屋再建を公費で助ける「被災者生活再建支援法」が誕生しました。行政に頼るだけでなく、市民自らが公共の担い手となる「分かち合い」の精神が芽生えたことは、当時の支援経験者たちがその後の地域活動を豊かに広げる原動力にもなっています。
しかし、理想的な街づくりへの挑戦はまだ道半ばと言えるでしょう。自然と人間が共生し、高齢化に対応した災害に強い福祉都市を目指す取り組みは、現時点では合格点に届いていないという専門家の厳しい指摘もあります。震災は家族や地域の絆を強め、国境を越えた善意の連帯を生み出す契機となりました。世界中で対立が絶えないからこそ、大災害の苦難から生まれた「人の優しさや絆」という財産を、次世代へと語り継いでいく責任が私たちにはあります。
過去の災害を立ち止まって見つめ直す行為は、現在の自分たちの立ち位置を確認し、より良い未来を築くために不可欠です。25年後の2045年には、戦後100年と震災50年という大きな節目を同時に迎えることになります。ただ悲劇を悼むだけでなく、震災が教えてくれた教訓を日々の生活に落とし込み、平和で災害に強い社会を構築していく必要があります。悲しみを強さに変えるために、私たちは「風化させない」という誓いを新たにすべきです。
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