【奈良のミステリー】平野塚穴山古墳から王族の証!飛鳥の天皇陵級に共通する「飾り石」と「てこ穴」の謎

奈良県香芝市にある平野塚穴山古墳(ひらのつかあなやまこふん)で、非常に重要な発見がありました。香芝市教育委員会は2019年6月26日までに、古墳の盛り土部分、すなわち墳丘(ふんきゅう)を覆っていたとみられる石が確認されたと発表したのです。この石材は近くの二上山(にじょうざん)で採れる凝灰岩(ぎょうかいがん)、つまり火山灰などが固まってできた柔らかい岩石で、一部が平らに加工されているのが特徴です。専門家は、古墳が造られた当時、このカットされた面が外側になるようにきれいに並べられ、墳丘全体を壮麗に装飾していたと推定しています。

この「墳丘を石で覆う」という手法は、これまでに天皇陵と考えられる、ごく限られた特別な古墳でしか確認されていません。そのため、平野塚穴山古墳に葬られている人物が、王族(おうぞく)、つまり天皇の一族であった可能性が極めて高くなったと注目されています。この古墳はすでに石室(せきしつ)の入り口が露出しており、過去の調査では、漆(うるし)で固めた最高級の棺(ひつぎ)の破片なども発見されており、被葬者(ひそうしゃ:埋葬された人物)が有力な人物であることは確実視されていました。

今回の発掘調査では、墳丘の斜面から大きさがおよそ15センチメートルから30センチメートルほどの装飾用と見られる凝灰岩が、約20点も出土しています。また、石室を構成する巨大な石材には、築造時に工具を差し込んで石を動かすために開けられたとみられる「てこ穴」も確認されました。このてこ穴というのも、装飾的な石で墳丘を覆う手法と同様に、遠い飛鳥地域に集中する王陵クラスの古墳にしか見られない特徴なのです。墳丘自体は高さが約5.4メートルあり、2段に重ねて造られている2段築成(にだんちくせい)という構造であることも、今回の調査で明らかになりました。

特に、二上山の凝灰岩を墳丘にきれいに張り巡らせる古墳の例は、今のところ斉明天皇(さいめいてんのう)が葬られたとされる牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)と、天武天皇(てんむてんのう)と持統天皇(じとうてんのう)の合葬陵とされる野口王墓古墳(のぐちのおうぼこふん)の、わずか2例しか知られていません。また、石室の構築に用いられたてこ穴は、鮮やかな壁画で有名な高松塚古墳やキトラ古墳といった、飛鳥地域の超一級の古墳でも確認されており、これらがすべて同じ石工(いしく)集団、つまり石材加工のプロフェッショナルたちによって造られた可能性を示唆しています。この共通の特徴は、飛鳥の王権が持つ高い技術と、限られた人物にのみ許された権威の象徴と言えるでしょう。

香芝市教委の下大迫幹洋(しもおおさこ みきひろ)副主幹は、「遠く離れた飛鳥地域に集中する王陵級の古墳に限定して見られる特別な特徴を備えているため、平野塚穴山古墳の被葬者は王族である可能性が極めて高い」と述べています。さらに、てこ穴の加工技術について、高松塚古墳などのほうがよりきれいに開けられていることから、「平野塚穴山古墳が技術の発展途上にあり、その後に高松塚古墳などで技術が完成されたのではないか」という興味深い見解を示されました。

この地域には、6世紀後半から7世紀後半にかけての古墳群や寺院の跡が近くに存在しており、平野塚穴山古墳も同じ有力な氏族、すなわち豪族(ごうぞく)の墓であると推定されています。このことから、斉明天皇の父である**茅渟王(ちぬのおおきみ)**の墓とする説が、かねてより有力視されてきました。今回の発見は、その説を強力に後押しする決定的な証拠の一つとなるでしょう。飛鳥時代という古代日本の歴史が大きく動いた時代の、王族の権力と高い技術力が、今、香芝の地から鮮やかに蘇ったと言えます。この世紀の発見に対し、SNS上では「地元にこんなすごい古墳があったとは!」「てこ穴の技術の変遷がロマンがある」といった驚きや関心の声が多く寄せられています。

歴史のロマンあふれるこの平野塚穴山古墳は、2019年6月30日の午前11時から午後3時まで、現地で一般公開される予定です。この貴重な発見を、ぜひその目で確かめてみてはいかがでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました