大大阪の光と影を描く!日本画家・木谷千種が「浄瑠璃船」に込めた古き良き浪花情緒へのノスタルジー

1920年代の大阪は「大大阪」と呼ばれ、急速な近代化を遂げていました。しかし、ビルが立ち並び都市化が進む一方で、古き良き浪花情緒が失われていくことを憂う人々もいたのです。こうした時代の変化の中で、かつての美しい大阪の風情を残そうとする動きが生まれました。日本画家の木谷千種(きたにちぐさ)氏も、まさにその一人です。彼女は1926年に発表した屏風画「浄瑠璃船」の中で、失われゆく大阪の伝統的な夏の風景を、深い愛着とともにノスタルジックに描き出しています。

当時の大阪の夏といえば、大川に夕涼みの屋形船が浮かび、周辺には物売りや落語を披露する芸能の小舟が行き交う賑やかなものでした。本作に描かれているのは、伝統芸能である「浄瑠璃(じょうるり)」を披露する専用の船です。これは、三味線の伴奏に合わせて太夫が物語を語る人形浄瑠璃のことで、江戸時代から大阪で深く愛されてきました。SNS上でも「当時の川の賑わいや風情がそのまま伝わってくる」「都会の喧騒を忘れさせる美しさがある」と、その叙情的な世界観に魅了される声が多く上がっています。

画面に目を向けると、良家のお嬢様が屋形船の中で熱心に耳を傾けている姿が印象的です。船上では、人形浄瑠璃の台本にあたる「床本(ゆかほん)」が開かれており、忠兵衛と梅川の悲恋を描いた「新口村(にのくちむら)」の段が熱演されていることが分かります。三味線奏者の着物に描かれた花びらの柄が、まるで劇中の雪景色のように舞い散る演出は見事というほかありません。さらに脇には、我が子を犠牲にする忠義の物語「伽羅先代萩」の床本も置かれており、お嬢様が自分の好みの心中にリクエストした背景が窺えます。

作者の木谷千種氏は、少女時代にシアトルで洋画を学んだ経歴を持つ大変な才媛でした。後に浄瑠璃研究者の木谷蓬吟氏と結婚し、叔父には宝塚少女歌劇の理事長を務めた吉岡重三郎氏を持つという、まさに芸術と芸能に囲まれた環境に身を置いていたのです。洋画の素養を持ちながらも、日本の伝統芸能の本質を捉える確かな眼力を持っていたからこそ、これほど情感豊かな作品が生まれたのでしょう。彼女の洗練された感性が、画面の隅々にまで息づいているように感じられます。

同時期の大阪は、洋画家の小出楢重氏が「街景」で描いたように、まるで欧米の都市のようなモダンな中之島界隈へと変貌していました。しかし、木谷氏が描いた宵闇の川面には、浄瑠璃の太棹(ふとざお)という太いネックを持つ三味線の、力強く響き渡る重低音が聞こえてくるようです。さらに、画面には豪商を彷彿とさせる「淀屋」の文字が刻まれた屋形船も登場し、作品の持つスケール感をいっそう壮大にしています。近代化という時代の波に抗うかのような、絵画の持つ力強いメッセージ性に深く感銘を受けます。

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