英語民間試験の導入延期に学ぶ!教育格差と現場の困難を池上彰が鋭く解説

「過ちを犯したと気づいたならば、迷わずに改めるべきである」という古くからの教えがありますが、今回の英語民間試験を巡る騒動は、まさにこの言葉を体現する形となりました。2019年に入り、萩生田光一文科相が放った「身の丈に合わせて」という発言は、図らずもこの制度が抱える歪みを浮き彫りにしたのです。経済力や居住地によって受験の機会が左右される不平等さが誰の目にも明らかとなり、結果として導入延期が決定されました。

この発言が飛び出した際、メディアが即座にその重大性を指摘していれば、事態はこれほど大きく動かなかったかもしれません。もし早期に撤回されていれば、制度の問題点が見過ごされたまま強行されていた可能性すらあります。皮肉なことに、大臣の失言に対する反応が遅れたことで、国民はこの改革の本質的な危うさをじっくりと吟味する機会を得たと言えるでしょう。SNS上でも「当然の判断だ」「受験生が振り回されすぎてかわいそう」といった安堵の声が広がっています。

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4技能評価という理想と、運営という冷徹な現実

そもそもこの改革は、英語の「読む・聞く・書く・話す」という4つの能力、いわゆる「4技能」をバランスよく評価しようという理想から始まりました。2014年に中央教育審議会が答申を出した際は、日本の英語教育を底上げする画期的な試みとして期待されたものです。しかし、全国約50万人もの受験生が一斉に「話す」試験を受けるとなれば、その採点を誰がどのように行うのかという実務上の大きな壁が立ちはだかりました。

大学入試センターが独力で行うにはマンパワーが足りないため、民間の試験を活用するというアイデアが浮上しましたが、これはあまりに安易な発想だったと言わざるを得ません。特に「話す」能力の判定では、数分間の面接で中間層の実力差を公平に見極めるのは至難の業です。採点基準の曖昧さや、会場確保の難しさといった現場の苦労に対する想像力が、政策決定者たちには著しく欠けていたように見受けられます。

都会の富裕層視点が生んだ「格差」という名の影

私は、今回の問題には二つの大きな「想像力の欠如」があると考えています。一つは、地方に住む受験生が被る経済的・時間的な負担を、都会の裕福な人々が理解できていなかったことです。遠方の会場まで交通費をかけて通わなければならない受験生の現実は、まさに日本の格差社会を映し出す鏡のようです。教育は本来、出自に関わらず平等であるべき権利であり、制度そのものが格差を容認するようなことがあってはなりません。

二つ目は、教育の実務を知らない人々によって改革が主導された点です。理想を掲げることは大切ですが、現場の教師や受験生が直面する混乱を無視しては、真の意味での教育改革とは言えません。今回の延期を好機と捉え、教育現場の声を反映した、より公平で持続可能な試験の在り方を根本から議論し直すべきです。若者たちの未来を左右する入試制度だからこそ、私たちはこれからも厳しい視点を持ち続ける必要があるでしょう。

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