1903年5月22日、1人の若者の死が日本中に衝撃を与えました。一高生・藤村操が、日光・華厳の滝の傍らにある樹木へ、わずか140文字の遺書を刻んで身を投げたのです。「不可解」という言葉で締めくくられたその『巌頭之感』は、当時の若者たちの心に「哲学的自殺」という強烈な波紋を広げました。
藤村はあの夏目漱石の教え子でもあり、彼の死は社会現象となりました。SNSのない時代であっても、その衝撃は現代のトレンドを席巻するニュース以上に人々の魂を揺さぶったに違いありません。しかし、物語はここで終わりません。彼の死から4年後、驚くべきことに「藤村は生きていた」と主張する書物が出版されたのです。
誰も見た者がいない幻の「発禁本」とその再臨
その本のタイトルは『煩悶記』といいます。1907年に世に放たれるはずだったこの一冊は、社会の安寧を乱すという理由ですぐさま「発禁」処分を受けました。発禁とは、当時の政府が公序良俗に反すると判断した出版物を差し押さえ、販売を禁止する厳しい検閲措置のことです。
市中に出回る前に没収されたため、長く「幻の怪著」とされてきましたが、1970年代に奇跡が起きます。文芸評論家の谷沢永一氏が古書店でその現物を発見したのです。貴重な資料が失われることを恐れた氏は、自著の中でその全文を公開しました。こうして私たちは、100年の時を超えて偽書の全貌を知ることになったのです。
謎の著者「岩本無縫」の正体を突き止める
当然ながら、この本は藤村本人の執筆ではなく、彼の名を騙った「偽書」です。巻頭には岩本無縫という人物が、原稿の由来を記しています。それによれば、正体不明の友人から預かった藤村の草稿を、火災で失うのを恐れて出版したといいますが、あまりに出来すぎた物語に偽作の香りが漂います。
岩本無縫とは一体何者なのでしょうか。彼は1906年7月23日に『俗体詩』、同年11月28日には『詩的俗謡 江戸むらさき』という詩集を出版しています。驚くべきことに、この二冊はタイトルこそ違えど、中身はほぼ同一です。わずか4ヶ月で出版社を変えて同じ本を出すという、現代の出版常識では考えられない奇妙な動きを見せています。
消えた作家が遺した「時代」の空気
無縫の作品には、当時の社会主義思想を反映したような過激な詩も含まれており、堺利彦(枯川)が序文を寄せている点も注目に値します。彼の正体は、演劇や講談の世界にも通じた多才な人物であったと推測されます。文学史に名を残すことのなかった「岩本無縫」という名前は、まさに時代の徒花だったと言えるでしょう。
一人の若者の悲劇的な死を利用して、偽の本を世に問おうとした無縫の行為は、現代の感覚からすれば不謹慎に映るかもしれません。しかし、そこには「不可解」な死に答えを求めた当時の人々の渇望が反映されています。真実と嘘が入り混じる古書の迷宮は、いつの時代も私たちを惹きつけてやまない魅力に満ちているのです。
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