2019年11月19日、リチウムイオン電池の開発という偉大な功績により、旭化成の吉野彰名誉フェローがノーベル化学賞を受賞するという喜ばしいニュースが日本中を駆け巡りました。企業に所属する研究者がこの栄誉に輝いた事実は、多くのビジネスパーソンに勇気を与えたことでしょう。吉野氏は取材に対し、もし選考過程で特許まで評価対象に含まれていたのなら、産業界の人間としてこの上ない喜びであると、謙虚な姿勢で語っていらっしゃいました。
しかし、この祝賀ムードの影で、日本の産業界が直面している深刻な課題が浮き彫りになっています。実は、日本企業の「科学力」が目に見えて低下しているのではないかという懸念が広がっているのです。SNS上でも「かつての技術大国の威厳はどこへ行ったのか」といった、将来を不安視する声が数多く寄せられています。企業は利益を追求する組織ではありますが、その根幹を支える基礎研究の土台が揺らぎ始めている事実は無視できません。
具体的な数字を紐解くと、その変化は一目瞭然です。文部科学省の調査によれば、1990年代後半から2001年にかけて年間1万本を超えていた企業の論文数は、2016年には約8,000本まで減少してしまいました。特に、企業が独自に発表する「非産学共著」の論文数は、ピーク時の半分以下となる約2,600本まで激減しています。化学や物理学といった、日本の得意分野であった基礎科学の領域で、研究の勢いが失われているのは非常に寂しい限りです。
オープンイノベーションの罠と「目利き力」の欠如
こうした論文数の減少は、日本企業における「基礎研究」の立ち位置が変化したことを物語っています。現代は変化のスピードが極めて速いため、自社だけで全てを完結させるのではなく、大学などの外部機関と協力する「オープンイノベーション」が主流となりました。外部の知見を取り入れることで効率的に成果を出そうとするこの手法は、合理的である反面、自社内で深い専門性を養う機会を奪ってしまうという諸刃の剣でもあるのです。
オープンイノベーションとは、組織の壁を越えて技術やアイデアを組み合わせ、革新的な価値を生み出す仕組みを指します。しかし、この仕組みを成功させるために最も重要なのは、相手の技術が本当に優れているかを判断する「目利き力」に他なりません。驚くべきことに、2017年の調査では大企業の約40パーセントが「自社の目利き力が弱い」と回答しています。自らに専門知識が備わっていなければ、宝の山から真の価値を見つけ出すことは不可能です。
さらに深刻なのは、日本が出願する特許において、科学的な論文を引用する割合が国際的に見て極めて低いという事実です。米国が27.0パーセントに達する一方で、日本はわずか9.1パーセントに留まっています。これは、最先端の科学的知見をビジネスに結びつける力が弱まっている証拠といえるでしょう。私たちは今一度、目先の効率性だけでなく、本質的な科学力を磨き直す時期に来ているのではないでしょうか。
個人的な意見を申し上げれば、企業の論文減少そのものが悪だとは思いません。しかし、自らの手で「知」を創造する情熱を失った企業に、世界を驚かせるイノベーションは起こせないと確信しています。吉野彰氏が示したような、執念にも近い研究精神を、次世代の研究者たちが引き継げる環境を整えることこそが、日本再興の鍵となるはずです。次々に現れる新技術を正しく評価し、自らの血肉とする強かな「科学眼」を養っていきたいものです。
コメント