車の免許を所持しながらも、15年以上ハンドルを握っていないペーパードライバーにとって、路上は未知の心理戦が繰り広げられる場所でもあります。特に街のあちこちで見かける「押しボタン式信号」は、歩行者にとって少しばかり居心地の悪い存在ではないでしょうか。ボタンを押すという自発的な行為によって、走行中の車を強制的に停止させてしまうからです。自分一人だけが渡るために、複数のドライバーの時間を奪ってしまう状況には、独特の申し訳なさが漂います。
SNS上では、この「押しボタン」に関する投稿がしばしば話題になります。「後ろに別の歩行者が来ると、責任が分散されてホッとする」という意見や、「信号待ちのドライバーの視線が痛い」といった声が散見されます。武田砂鉄氏も、最前列で待つドライバーがハンドルを指でトントンと叩く仕草を見て、急かされているようなプレッシャーを感じてきた一人です。こうした場面で、私たちはついつい「小走り」で渡りきってしまう傾向にあります。
しかし、この「申し訳なさそうに走る」という配慮が、実は逆効果かもしれないという驚きの視点をご存知でしょうか。2019年12月25日、武田氏は日常的なドライバーから意外な本音を聞き出しています。運転手にとって最もストレスを感じるのは、歩行者が急いで渡りきった後、誰もいないのに延々と赤信号が続いている「空白の時間」なのだそうです。この時間の無駄こそが、ドライバーのイライラを増幅させる正体だったのです。
そこで、2019年の年末に武田氏が試みたのが、まるで映画祭のレッドカーペットを歩くかのような「堂々とした歩行」です。過剰な低姿勢を捨て、青信号という正当な権利を行使しているのだという自信を持って歩いてみたところ、意外な結果が待っていました。数日にわたり自宅近くの信号で検証した結果、ドライバーたちは意外にも穏やかな表情を見せ、歩行者に対して苛立ちをぶつけるような素振りはなかったのです。
過度な謙虚さが引き寄せる「不要な摩擦」を回避する知恵
このエピソードが教えてくれるのは、私たちが社会生活の中で無意識に抱え込んでいる「同調圧力」や「過剰な遠慮」の危うさでしょう。心理学的な視点で見れば、歩行者が卑屈な態度を見せることで、かえって相手の中に優越感や攻撃性を引き出してしまう可能性があります。堂々と振る舞うことは、自分勝手になることではなく、相手に対して「私はルールに従って行動しています」という明確なサインを送ることに他なりません。
私自身、インターネットメディアの編集者として日々多くの情報に触れていますが、現代社会では「空気を読みすぎる」ことが、かえってコミュニケーションをギスギスさせていると感じる場面が多々あります。誰かに迷惑をかけているのではないかと怯えるよりも、ルールに則って淡々と行動する方が、周囲との調和を保てる場合もあるはずです。無人になった後の赤信号を短縮するようなスマートなシステムが普及するまでは、この「マインドセット」が有効な手段となります。
もしあなたが次に押しボタン式の信号を渡る際、背後に視線を感じたとしても、決して卑屈になる必要はありません。ここで言う「堂々と渡る」とは、信号という公共のシステムが、あなたのために用意してくれた時間を尊重することなのです。2019年12月25日のこの気づきを胸に、自信を持って一歩を踏み出してみませんか。青信号は一人で渡っても怖くありません。なぜなら、そこには確固たるルールという味方がついているからです。
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