自分がまだ小学生だった遠い昔、父親が香港か上海へ長期の出張に出かけたことがありました。滞在先から我が家へ向けて父親が送ってくれた絵葉書は、なんと本人が帰国した翌日に配達されたのです。遠い異国の地から投函されたためか、そこには普段見せないような情感たっぷりの温かい言葉が並んでいました。
「みんな仲良くやっていますか。パパはもうすぐ帰るからね。もうすぐ会えるね。お土産を楽しみにしていてね」というメッセージを、帰ってきた父親を含む家族全員で読み上げる時間は、今でも忘れられません。自分が書いた少しセンチメンタルな文面に、父親がひどく照れていた姿が印象的でした。
その後も父親は何度か海外へ赴きましたが、二度と絵葉書が送られてこなくなったのは、この「自分の方が先に帰宅してしまった事件」がきっかけだったのでしょう。手紙が届くまでのタイムラグがもたらす、どこか間が抜けていて愛おしい家族の思い出は、多くの人の心に深く残るエピソードではないでしょうか。
さて、このコラムが皆様の目に触れているのは2020年1月8日のことです。しかし、私が実際にこの原稿を執筆しているのは、少し時計を巻き戻した2019年12月25日のクリスマス当日になります。年末年始の時期は編集部の締め切りが通常よりも前倒しになるため、こうした時間差が生まれるのは毎年の恒例行事です。
執筆中の現在から年明けの雰囲気を予測することはできても、仕事が始まってから数日が経過した平日の様子をリアルに想像するのは決して簡単ではありません。SNS上でも「連休明けの仕事モードに体が追いつかない」といった、新年の調子がつかめないビジネスパーソンたちのリアルな声が溢れかえっています。
おそらく本日あたりは、ようやく日常のペースを取り戻しつつも、まだ新年の挨拶回りが続いていて、どこか落ち着かない体感ではないでしょうか。このような、未来に向けて文章を紡ぐ作業は、まるで過去から届く手紙のようで、書き手としても不思議な高揚感と少しの気恥ずかしさを覚えるものです。
この1月8日前後によくある光景といえば、うっかり出し忘れていた知人から4日頃に年賀状が届き、慌てて返信を出したものの、相手に届くのと直接顔を合わせるのが同時になってしまう気まずさです。住所変更などで手元に戻ってきた年賀状に書いた、自分のコメントを見返す瞬間ほど恥ずかしいものはありません。
「今年こそ会いましょう」という定番の挨拶の裏には、「どうせ今年も会う機会はないだろう」という建前が隠れていることも多いはずです。さらに「久しぶりにお子さんの顔が見たいです」という一筆の真意を探れば、実は子供の性別や人数が曖昧だから「お子さん」という便利な言葉で濁したケースも少なくないでしょう。
このように、相手を気遣う「建前(社会的な配慮や社交辞令)」と「本音(実際の複雑な感情)」のギャップをユーモラスに捉える視点こそが、人間関係を円滑にする知恵だと言えます。年末年始に大急ぎで対応した様々な物事が、少しの時間を経て、思わぬ形で自分に返ってくるのがこの時期の醍醐味です。
SNSでも「年賀状の一言コメントの言い訳に共感しかない」と、多くの読者が自らの苦い経験を振り返って盛り上がっています。投函した瞬間の熱量と、届いた時の現実とのズレは、人間の愛すべき不器用さそのものです。かつて父親が送った絵葉書のように、時差が生み出すドラマを噛み締めたいものですね。
慌ただしい年末に必死に準備したあれこれが、一息ついた今になってユニークな新年の景色を作り出しています。過去の自分が仕掛けたタイムカプセルを開けるようなこの日に、この記事を読んでいる1月8日の自分自身は、一体何を考えているのでしょうか。当時の焦りを見透かされて、苦笑いしているかもしれません。
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