キャリアの頂点で、家族の大きな課題に直面したらあなたはどうしますか。国際舞台で華々しく活躍するアジア開発銀行(ADB)の駐日代表・児玉治美さんの歩みは、まさに挑戦の連続です。彼女が日本への赴任を決める際、最も心を砕いたのは双子の息子たちの教育環境でした。実は、そのうちのお一人は「自閉症」という発達の特性を持っています。児玉さんは就任前から何度も日本へ足を運び、安心して息子を預けられるインターナショナルスクールを探し回りました。
自閉症とは、対人関係の構築やコミュニケーションに独自のスタイルを持ち、特定の物事への強いこだわりが見られる脳の機能特性のことです。児玉さんは評判や噂を頼りに十数校もの学校を訪問しました。そして、ここが駄目なら日本赴任は諦めようと覚悟して訪れた最後の学校で、2019年3月にようやく受け入れが決まったのです。この執念とも言える行動力には、SNS上でも「母親としての覚悟に涙が出る」「これこそ真の強さだ」と絶賛する声が数多く寄せられています。
さらに児玉さんの生活を支えているのは、長年フィリピンのマニラで苦楽を共にしてきた家政婦のロレーナさんの存在でしょう。10年以上も同じ屋根の下で暮らし、名前で呼び合う彼女は、すでに家族同然の深い絆で結ばれています。現在、児玉さんの夫は背骨の手術をきっかけに「術後譫妄(せんもう)」を発症し、その後アルツハイマー型認知症を患っています。術後譫妄とは、手術による身体的・精神的ストレスなどが原因で、一時的に意識が混乱したり幻覚を見たりする状態のことです。
自宅にいるのにもかかわらず「家に帰る」と荷物をまとめ始めてしまう夫を、優しくなだめられるのはロレーナさんしかいません。彼女の存在なくして児玉家の生活は成り立たないのが実情です。私たちは往々にして、一人のリーダーの成功を個人の能力だけで捉えがちですが、そこには信頼できる周囲のサポートが不可欠なのだと痛感させられます。多様な人々とチームを組み、お互いを支え合う体制を作ることこそが、現代の複雑な社会を生き抜く鍵になるのではないでしょうか。
また、日本へ帰国した児玉さんを待ち受けていたのは、相変わらずの男性優位社会という現実でした。2020年2月7日の時点で、ADBの駐日代表として初の女性となった彼女は、周囲から「女性初」と騒がれることに当初は強い違和感を抱いていました。挨拶回りの名刺交換でも、相手のビジネスパーソンが真っ先に隣の男性部下に名刺を差し出すという驚くべき経験をしています。未だに性別で人を判断するような日本の古いビジネス慣行には、がっかりさせられます。
しかし、児玉さんはその注目度の高さを、ADBの認知度を上げるための武器にしようと見事にマインドを切り替えました。ADBは1966年の発足以来、アジア太平洋地域の貧困撲滅に向けて多大な貢献を続けている国際金融機関です。現在は通信衛星の打ち上げや高速鉄道の建設など、非常に高度な技術プロジェクトを手掛けています。優れた技術を持つ日本企業と途上国とを結びつける橋渡し役として、彼女の発信力は大きな意味を持っているのです。
どんなに多忙な一日を終えて帰宅しても、児玉さんはその日の出来事を夫に報告することを欠かしません。認知症のために会話がすれ違うことも多いそうですが、先日は夫から「君を誇りに思う」という最高の言葉が返ってきたといいます。家族のために最善を尽くし、仕事にも情熱を注ぐ児玉さんの姿は、多くの働く人々に勇気を与えてくれます。多様性を認め合い、支え合うことの大切さを、彼女の生き方は私たちに静かに物語っているようです。
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