2020年度から導入が予定されていた大学入学共通テストの英語民間試験ですが、萩生田光一文部科学相による「身の丈」発言をきっかけに、急転直下で見送られることとなりました。この騒動の本質は、単なる試験制度の不備ではありません。教育行政のトップが、住む場所や親の経済力による「教育機会の不平等」を当然視するかのような態度を示したことに、日本中が揺れているのです。
SNS上では「努力だけでは超えられない壁を国が認めるのか」「生まれた環境で人生が決まる社会に未来はない」といった厳しい批判が相次いでいます。これまでも、所得が高い家庭ほど子供の学力や進学率が高くなるというデータは存在しましたが、それを是正すべき立場にある政府が格差を肯定したことは、国民に大きな衝撃を与えました。教育は本来、誰もが平等に夢を追うための「翼」であるべきです。
政府は格差是正の切り札として「高等教育の無償化」を掲げています。具体的には、2020年4月1日から住民税非課税世帯などの低所得層を対象に、大学や専門学校の入学金・授業料を減免する新制度がスタートします。しかし、この新制度には大きな落とし穴が潜んでいます。文部科学省の試算によれば、これまで国立大学で免除を受けていた学生の半数以上が、逆に負担増になる可能性があるというのです。
「米百俵」の精神を忘れた日本に、輝かしい未来は訪れるのか
これでは「無償化」という看板に偽りがあると言われても仕方がありません。かつて小泉純一郎元首相も引用した「米百俵」の逸話をご存知でしょうか。幕末の長岡藩が、飢えをしのぐための米をあえて学校設立に投じたこの精神こそが、近代日本の礎となりました。そこには身分を問わず才能を育てるという、教育こそが国力の源泉であるという揺るぎない信念があったはずです。
私は、教育格差を容認することは、日本の将来を自ら摘み取ってしまう行為に等しいと考えます。資源の乏しい日本にとって、唯一にして最大の資源は「人」に他なりません。経済的な理由で優秀な若者が学びを断念せざるを得ない状況は、社会全体の損失です。政府は目先の予算の帳尻合わせではなく、100年後の国力を見据えた誠実な教育投資を行うべきではないでしょうか。
2019年11月28日現在、教育行政への不信感はかつてないほど高まっています。格差を「身の丈」という言葉で片付けるのではなく、いかにしてその差を埋め、全ての若者に挑戦の機会を保障するのか。その姿勢が問われています。国力が衰退しつつある今だからこそ、私たちは教育の平等という原点に立ち返り、国づくりの基盤を再構築する必要があるでしょう。
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