2021年に控えた文豪ドストエフスキーの生誕200周年という記念すべき節目を前に、世界中でその熱気が高まっています。2019年7月、アメリカのボストンで開催された国際ドストエフスキー学会は、まさにそのプレイベントのような高揚感に包まれていました。研究者の間では、あまりの盛り上がりに「多忙で体が持たないのではないか」という贅沢な悲鳴すら上がっていたほどです。
SNS上でも「ドストエフスキーの命題は現代こそ響く」「生誕200年に向けて全作品を読破したい」といった意欲的な声が散見されます。ロシア文学者である亀山郁夫氏は、この学会への参加を機に、自身の思想の原点ともいえるボストンの地を再び踏みました。そこには、1992年のソ連崩壊直後に彼が経験した「回心」、つまり思想的な転向の記憶が深く刻まれていたのです。
1992年当時、熱烈なゴルバチョフ支持者だった亀山氏は、ソ連という国家の終焉に深い喪失感を抱いていました。しかし、ボストンの洗練された街並みや歴史ある公園の豊かさを目の当たりにした際、「ロシアは失敗の歴史だ」という言葉が脳裏をよぎったといいます。文化的な積み重ねによる「成熟」を知るアメリカに対し、当時のロシアには社会主義を支える心の余裕が欠けていたのではないか、と彼は直感したのです。
それから27年の歳月が流れた2019年の現在、ボストンの街は変わらぬ成熟を保ち続けています。一方で、共に学会に参加したロシア人研究者たちの姿には、かつての「敗者」としての卑屈さは微塵もありませんでした。グローバル経済の勝者に対する劣等感も、傷ついた自尊心ゆえの虚勢もそこにはなく、彼らは極めて自然体でアメリカの豊かさを享受していたのです。
デジタル・ドストエフスキー学が切り拓く、AI時代の文学的余裕
学会の終盤、70歳を迎える学会長のザハーロフ氏は「デジタル・ドストエフスキー学」という刺激的な未来図を提示しました。これは、膨大なテキストデータをAIやデータサイエンスの手法を用いて解析し、文学の新たな地平を切り拓こうとする試みです。かつてのソ連が科学技術の最前線であったことを思えば、この進取の気性はロシアという国の底力を象徴しているかのようです。
「文学を愛することは、魂で世界を見ることだ。AI時代とも上手く付き合っていこう」というザハーロフ氏の言葉には、技術に魂を売るのではない、真に文化を愛する者だけが持つ「余裕」が漂っていました。私は、この余裕こそが、今の日本や世界に求められている「文化的成熟」の指標ではないかと強く感じます。データに振り回されるのではなく、それを使いこなす精神の豊かさこそが重要です。
夜の宴席では、世界的な碩学たちがウオッカを片手に、和気藹々とドストエフスキーの裏話に花を咲かせていました。彼らにとって、古典文学は単なる研究対象ではなく、人生を豊かに彩る血肉そのものなのです。こうした知的な遊び心こそが、困難な時代を生き抜くための最強の武器になるのでしょう。私たちは、効率ばかりを求める現代社会で、こうした「心の余白」を忘れてはいないでしょうか。
2022年の国際ドストエフスキー学会は、日本の名古屋で開催されることが決定しました。2019年11月03日現在、台風19号の爪痕に心を痛める日々ですが、ロシアの友人たちからの温かな見舞いメールが何よりの励ましとなっています。3年後、満開の桜の下で、日本の熱いドストエフスキー愛を彼らに披露できる日が今から待ち遠しくてなりません。
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