作曲家・松下耕と詩人・山崎佳代子が紡ぐ「祈りの合唱」|戦火のセルビアに響いた希望の旋律

セルビアの首都ベオグラードに拠点を移してから、早いもので38年という月日が流れました。この長い歳月のなかで、私は多くの素晴らしい旅人たちと巡り合う幸運に恵まれてきました。なかでも、日本を代表する作曲家である松下耕氏との出会いは、私の人生において決して消えることのない深い刻印を残しています。彼がもたらしたものは、単なる音楽という枠を超えた、魂の救いそのものだったのかもしれません。

1991年、多民族国家であったユーゴスラビアは解体への道を辿り、凄惨な内戦が勃発しました。ベオグラードの街は行き場を失った難民で溢れかえり、さらには国連による厳しい経済制裁が課せられたのです。交通さえも遮断され、国全体が暗い闇の中に閉じ込められていたような、そんな閉塞感に満ちた時代でした。しかし、そんな絶望的な状況下にあって、松下氏は驚くべき行動に出たのです。

彼は当時留学していたハンガリーから、国際列車に揺られて突如として姿を現しました。それも、ピアニストである奥様と幼い息子さんを連れての訪問でした。ドナウ河のほとりに位置する古都ポジャレバッツの少女合唱団が、彼の作品を披露することになり、私は通訳として同行しました。初夏の陽光を浴びて輝く松下さん一家の笑顔は、暗いニュースばかりが続く現地の人々にとって、眩いほどの希望に見えたことでしょう。

合唱団の少女たちは、心からの拍手で遠方からの客人を迎え入れました。その年の冬、彼女たちは日本語での歌唱に挑戦することになります。「組曲」とは、ある一定のテーマに基づいた複数の楽曲によって構成される音楽形態のことですが、言語の壁を越えようと努力する彼女たちのために、私は雪の降る夜道を何度も通って発音の指導を重ねました。あの日々の静かな熱狂は、今でも私の大切な記憶の一部です。

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歌声という名の光が難民センターを照らした日

あの日から10年が経過した2001年、松下氏は再びこの地を訪れました。今度は自身が率いる女声合唱団を伴っての再訪です。桜の花が美しく咲き誇る季節、彼らは難民センターや文化会館でコンサートを開催しました。会場に集まったお年寄りから小さな子供たちまで、誰もが等しく音楽の力を享受したのです。それは、戦禍を生き抜く人々の心を優しく包み込む「光」のようなひとときでした。

ふと気が付けば、私の詩をモチーフにした松下氏の合唱組曲は、これまでに5つも誕生しています。詩と音楽が共鳴し合うプロセスは、まさに魂の対話と言えるでしょう。SNS上でも「音楽に国境はないという言葉を体現している」「松下さんの行動力に涙が出る」といった感動の声が広がっています。私にとって、歌とは美しさを競うものではなく、平和への切なる「祈り」そのものなのです。

この真理を教えてくれたのは、混乱の最中にあったセルビアへ、リスクを顧みず駆けつけてくれた松下耕さんという稀有な芸術家です。彼との交流を通じて、私は言葉の持つ可能性と、音楽が持つ浄化の力を信じ抜くことができるようになりました。困難な時代であればこそ、私たちは歌声という祈りを絶やさずに、他者と繋がり続けるべきではないでしょうか。

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