2019年12月05日、東京の街並みは大きな変化の真っ只中にあります。地下鉄の駅を見渡せば、ホームドアの整備やエレベーターの増設工事が急ピッチで進められていることに気づくでしょう。2020年の東京パラリンピック開幕を控え、ハード面でのバリアフリー化、つまり物理的な障害を取り除く取り組みは着実に成果を上げています。車いすを利用する方や視覚に障害を持つ方々が、過度なストレスを感じることなく移動できる都市へと進化を遂げている最中です。
しかし、街がどれほど便利になったとしても、それだけで十分だと言い切れるでしょうか。「パラリンピックの価値」を巡る議論の中で、長野パラリンピック金メダリストのマセソン美季氏が語った言葉が重く響きます。彼女は、日本で車いすに乗ると周囲の視線や態度が急変し、まるで見えない壁が生じたかのような、ぎこちなさを感じると指摘しました。この「心のバリア」こそが、現在の日本社会が直面している本質的な課題であると言わざるを得ません。
SNS上ではこの発言に対し、「自分もどう接していいか分からず、つい視線を逸らしてしまった経験がある」「親切にしたい気持ちはあるけれど、失礼になったらどうしようと身構えてしまう」といった共感や自省の声が多く上がっています。悪意はなくとも、自分とは異なる属性を持つ人々に対して自然体でいられない心理は、多様性に対する感受性が磨かれてこなかった日本社会特有の課題かもしれません。
企業の変容と私たちに課された意識のアップデート
1998年の長野大会当時、企業の姿勢は消極的でした。当時は「障害者スポーツをビジネスに利用している」という批判を恐れ、五輪が終わると同時にスポンサーが姿を消す光景も見られました。しかし21年が経過した現在、企業の意識は劇的に進化し、今やパラリンピックへの支援は社会的責任を果たすための重要な柱となっています。企業が先陣を切って多様性を認め合う価値観を打ち出すようになったことは、大きな前進でしょう。
一方で、私たち一人ひとりの意識はどうでしょうか。私は、ハードウェアの整備以上に、個人の心にある無意識の偏見を自覚することこそが重要だと考えます。特別視するのではなく、隣にいるのが当たり前であるという感覚。それこそが、2020年という記念すべき年を単なるスポーツイベントに終わらせないための鍵となります。街の段差をなくすだけでなく、心の段差を平らにする勇気が今、私たちに求められているのです。
パラリンピックは、障害を持つアスリートの驚異的なパフォーマンスを通じて、人間の無限の可能性を教えてくれます。この祭典を転機として、誰もが自分らしく活動できる「共生社会」を実現したいものです。2020年を振り返ったとき、あの時から日本人の意識が変わったと胸を張って言えるように、まずは目の前の誰かに対して、ぎこちなさを捨てた一歩を踏み出してみませんか。
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