2019年12月、アフガニスタンの地で人道支援に身を捧げた「ペシャワール会」の現地代表、中村哲医師が凶弾に倒れるという悲しい事件が起きました。日本中が深い悲しみに包まれる中、その気高い魂を受け継ごうと立ち上がった一人の医師が静岡県島田市にいらっしゃいます。それが、同国出身で診療所を営むレシャード・カレッドさんです。
このニュースに対し、SNS上では「中村先生の志がこうして引き継がれていくことに救われる」「平和への歩みを止めてはいけない」といった、感動と応援の声が数多く寄せられています。遠く離れた日本から母国の復興を支え続けるレシャードさんの姿は、多くの人々の心を激しく揺さぶっているようです。
レシャードさんは1969年に留学生として来日し、京都大学医学部などで最先端の医学を修められました。当初は母国に戻り医療に貢献する予定でしたが、1979年に発生した旧ソ連によるアフガニスタン侵攻という政情不安により、帰国を断念せざるを得ない苦難に直面します。その後は周囲の温かい勧めに後押しされ、日本国籍を取得されました。
1993年に島田市で診療所を開設したレシャードさんは、1980年代からパキスタンの難民キャンプに赴くなど、精力的に医療支援を展開していきます。その活動の中で運命的に出会ったのが中村哲さんでした。お二人は瞬く間に意気投合し、アフガニスタンの未来を共に見据える盟友として、深い信頼関係を築いていかれたのです。
2014年11月には、中村さんが現地で手がける重要なかんがい事業を視察するため、レシャードさんはアフガニスタンを訪れました。かんがい事業とは、砂漠化した土地に水路を引いて豊かな緑地へと蘇らせる取り組みのことで、住民の生活基盤を支える命の事業です。このとき中村さんの自宅に宿泊し、夜通しで母国の未来を語り合いました。
「武力による威嚇や空爆では、本当の平和は決して訪れない」という言葉が、中村さんの強い信念だったそうです。レシャードさんは、現地の人々と生活を共にしながら献身的に活動する中村さんを心から敬愛されていました。単に物資を 与えるだけでなく、現地の人々が自らの力で生きていける「自立」を促す支援のあり方を、お二人は模索し続けたのです。
2019年10月に中村さんへアフガニスタンの名誉市民権が授与された際、レシャードさんは祝福の電話をかけています。その時の中村さんは、これまでの地道な努力が国家に認められた喜びで、今にも涙が溢れそうな声で歓喜していたそうです。それだけに、わずか2ヶ月後に訪れた突然の悲劇は、言葉にできないほどの衝撃でした。
レシャードさん自身が設立した認定NPO法人「カレーズの会」の視察のため、2019年12月下旬に約10日間ほど現地に滞在した際、近くで銃撃戦が勃発するなど治安の悪化を肌で感じたといいます。しかし、そこで懸命に生きる人々の姿を見たレシャードさんは、危険を理由に活動を止める選択肢はないと、力強く断言されています。
私たちは、遠い異国の出来事としてこの現状を風化させてはなりません。真の復興を成し遂げるためには、日本国内で一人でも多くの人が関心を持ち続けることが何よりも大切です。平和をもたらすのは武器ではなく、命を救う医療と教育であるというレシャードさんの揺るぎない主張に、私たちは今こそ耳を傾け、支援の輪を広げるべきでしょう。
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