大学改革の闇に迫る!佐藤郁哉氏の著書が暴く「改革源病」の実態とSNSで渦巻くリアルな悲鳴

2020年01月18日、日本の高等教育の根幹を揺るがす大きな方針転換が報じられました。大学入試改革の目玉とされていた英語の民間試験活用や、国語・数学への記述式問題の導入が見送りになったのです。この決定は、まるで決壊した堤防から水が溢れ出すかのように、これまで不満を抑え込んできた大学関係者たちの間で、一気に疑問の声を噴出させる引き金となりました。

1990年代から本格化した日本の大学改革は、現場で働く教職員の意見をほとんど聞き入れることなく、政府主導によるトップダウン形式で矢継ぎ早に推進されてきました。改革の達成度を政府からの経済的支援である補助金の支給基準と連動させるという、いわば「飴と鞭」の政策が強引に展開されてきたのです。現場ではこれに対する強い警戒感が漂っています。

このような背景から、教職員の間では、一度この補助金レースに足を突っ込むと抜け出せなくなる過酷な現状を揶揄して、これらを「毒まんじゅう」と呼ぶ独自の隠語まで生まれる始末です。さらにネット上では、多忙を極める教授陣から「本来の目的である研究や学生への指導時間が奪われている」といった悲痛な訴えが相次ぎ、SNSでも瞬く間に拡散されて大きな反響を呼んでいます。

そもそも改革の進捗状況は、形式的な書類の作成や数字の辻褄合わせで報告されがちであり、本当の意味での成果が不透明になりやすい性質を持っています。だからこそ、さらなる「実質化」を名目に新しい施策が次々と上乗せされるという悪循環が止まりません。佐藤郁哉氏の著書は、こうした現状を「改革を行うポーズを取ること自体が目的化している」と鋭く見抜いています。

本書では、授業計画書である「シラバス」の導入プロセスや、業務改善の手法としてビジネス界で使われる「PDCAサイクル」といった疑似経営用語が、いかに教育現場に無理やり当てはめられてきたかを精緻に分析しています。その結果、教員たちが表面上だけ従う「面従腹背」や、必要以上に制度に合わせる「過剰同調」といった、歪んだ適応の姿が浮かび上がってきました。

著者は、日本の高等教育が直面している本当の危機は、努力が足りないからではなく、常に変わり続けなければならないという強迫観念そのものが原因であるとし、これを「改革源病」と名付けました。私はこの指摘に深く同意します。教育の本質を置き去りにした「やったつもり」の演出は、大学の活力を削ぐだけでなく、日本の学術的な競争力を長期的におとしめる自殺行為に他なりません。

形だけの「改革ごっこ」に膨大な時間と労力を消費する虚しさは、今や現場の教職員だけでなく、皮肉にも制度を設計した文部科学省の官僚たちも同様に噛み締めているのではないでしょうか。本書が突きつける「裸の王様」への指摘に、胸を撫で下ろす関係者は多いはずです。教育の効率化ばかりを追い求めるビジネス界のリーダーたちにも、ぜひこの悲惨な実態を知っていただきたいと思います。

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