北の大地には、時が流れても決して色褪せない大切な出会いが眠っています。かつて北海道に赴任していた筆者の古いスクラップ帳には、アイヌ伝統楽器の継承に励む青年や、大阪市から過疎の村へ移住して農業を牽引した夫婦など、希望に満ちた人々の顔が並ぶのです。約20年も前の取材にもかかわらず、彼らの情熱は今も鮮明に記憶へ残っています。SNS上でも「激動の時代を生き抜いた人の言葉には、教科書だけでは学べない確かな重みがある」といった、当時の人々の生き様に感動する声が数多く寄せられていました。
その中でも特に忘れられない存在が、根室市に暮らしていた舛潟喜一郎さんです。明治生まれの彼は、1945年の終戦直後まで歯舞群島の水晶島でコンブ漁を営んでいました。納沙布岬からわずか7キロメートルという至近距離にあるその島は、豊かな水産資源に恵まれた、とても平和な場所だったと言います。1997年、当時93歳だった舛潟さんは、杖を突きながらも旧ソ連軍の侵攻によって一変した自身の波乱万丈な歩みを、驚くほど克明に筆者へ語ってくれました。
尊厳をかけた裁判と、引き継がれる元島民たちの思い
舛潟さんが法廷に立った理由は、島に残してきた土地の権利を守るためでした。法務局が土地登記簿の住所変更申請を拒んだことに対し、財産権を保障した憲法に違反すると訴えたのです。これは「将来の領土返還に備えて権利を明確にすることは国益に繋がる」という信念と、世間の関心を喚起したいという強い願いからでした。しかし残念ながら、敗訴の確定判決を見届けることなく彼は他界してしまいます。国益とは国家全体の利益を意味しますが、個人の尊厳を守ることこそがその土台であるべきだと私は強く感じます。
現在、東京都内のギャラリーでは元島民の孫にあたる写真家が個展「島々の記憶」を開催しています。作品に添えられた被写体たちの望郷のコメントは、どれも胸が締め付けられるほど切実なものばかりです。2020年2月7日、日本の国会では「首相が北方領土を『固有の領土』と表現しなくなった」という、ロシアとの交渉姿勢を巡る鋭い質疑が行われました。言葉のニュアンス一つで外交の舵取りが変わる現状を、泉下の舛潟さんはどのような思いで見つめているのでしょうか。
本日2020年2月7日は「北方領土の日」を迎えています。単なる政治的な交渉事として片付けるのではなく、かつてあの美しい島々で確かに営まれていた人々の暮らしや、故郷を追われた方々の無念に寄り添うことが今まさに求められていると言えるでしょう。歴史の荒波に翻弄された元島民の記憶を風化させず、次の世代へと正しく繋いでいくことこそが、現代に生きる私たちに課せられた大切な使命ではないでしょうか。
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