2019年05月30日、夕暮れ時の東武東上線・東松山駅に降り立つと、たまらない香ばしさが鼻をくすぐります。思わず足が向くその先にあるのは、この街が誇る「やきとり」の赤提灯。しかし、ここで一つ注意が必要です。東松山で「やきとり」を注文しても、鶏肉は出てきません。なんと、ここで言うやきとりとは「豚のカシラ肉」を指すのです。豚の頭部の筋肉であるカシラ肉を炭火でじっくり焼き上げ、ニンニクと唐辛子を効かせた特製の「辛味噌だれ」をたっぷりつけていただく。これこそが、東松山流の正義なのです。
カシラ肉は、噛めば噛むほど濃厚な旨味が溢れ出す、非常にジューシーな部位です。備長炭で焼くことで余分な脂が落ち、そこへピリ辛の味噌だれが絡むと、もはやビールを止める術はありません。価格も1本150円程度と非常にリーズナブルで、市内には約50軒もの専門店がひしめき合っています。スーパーマーケットですらカシラ肉と味噌だれがセットで売られているほど、市民の生活に深く根付いたまさに「ソウルフード」と言えるでしょう。
「焼きトン」は禁句?戦後の食糧難が生んだ知恵とプライド
なぜ豚肉なのに「やきとり」なのでしょうか。そのルーツは食糧難にあえぐ昭和20年代、戦後の混乱期にさかのぼります。当時、市内のと畜場で廃棄されていた豚のカシラ肉を、在日韓国・朝鮮の方々が譲り受け、工夫して食べ始めたのが始まりだといわれています。朝鮮半島の調味料からヒントを得た辛味噌と、歯ごたえのあるカシラ肉の相性は抜群で、安くて美味い庶民の味として爆発的に普及しました。
ここで私から読者の皆様へ、東松山で飲み歩く際の重要なアドバイスがあります。それは、この料理を決して「焼きトン」と呼ばないことです。一般的には豚肉の串焼きを焼きトンと呼びますが、東松山の古くからの店主たちは、自分たちの料理はずっと「やきとり」だったという自負を持っています。「焼きトン」と呼ばれると露骨に不快感を示す職人もいるほど、この名称には歴史とプライドが詰まっているのです。
老舗の名店「桂馬」の青木萃美さん(79)は、この道65年の大ベテランです。焼き加減を尋ねても「計ったことなんてない」と笑い、肉の表情だけを見て最高の瞬間を見極めます。各店がカシラ肉の処理や串打、そして「秘伝の味噌だれ」の配合に命をかけており、その多様性こそが東松山やきとりの奥深さです。
SNSでも拡散中!ご当地でしか味わえない「熱気」
この中毒性の高い味わいは、現代のSNSでも話題沸騰中です。「東松山の味噌だれ、魔剤すぎる」「カシラだけで無限に飲める」「テイクアウトしたけど、やっぱり店の煙の中で食うのが一番」といった投稿が相次ぎ、週末には遠方から訪れるファンも少なくありません。持ち帰り専門店の展開や、株式会社ひびきのように県外への進出を目指す動きもありますが、家族経営の小規模店が多いため、やはり現地に足を運ぶのがベストな選択肢です。
コラムニストとしての私見ですが、料理とは単なる味覚だけでなく、その土地の空気感や歴史的背景と共に味わうものです。冷凍技術の課題もあり、この味を全国へ届けるのは容易ではありません。だからこそ、あえて東松山へ行き、煙に巻かれながら辛味噌たっぷりのカシラを頬張る。そんな「体験」にこそ価値があるのではないでしょうか。今夜は途中下車して、熱々の「やきとり」で一杯、いかがですか。
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